Before Sunset

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体調不良というか、身体のガタについて、周りを心配させたくないが故にピンピンしたフリをしてたことに自覚がなかった。

自分は痛みに弱いと思ってしまう癖がある。しかし過去の自分はともあれ、今の自分は痛みに強すぎてあまり人に言わないんだなと思う。

朝調子が整わないのはよくあることだが、車もエンジンが温まるまでは調子が上がらない。それと似てる。でも昨日は丸一日ガタガタだった。原因は昨日ブログに書いたことと、他人から受ける依存や逆恨み、近しい人が受けた道の肩代わりなど。

寝込んでいたら、次男がマイクラサーバで問題があって友達と遊ぶのに支障があると言ってそっちの心配してた。寝込んでる僕にその相談をしてもいいかなと部屋の周りをうろうろしたり妻に訊いたりしてるのがわかった。

そうなんだよな。

俺は一体何を期待してたんだ?

この期に及んで、誰かに労わられたり、心配してもらったりすることを期待していたのだろうか。

結局自分は、何か見返りを期待して家族ごっこをしてただけなんじゃないだろうか。

とても寂しくなって、同時に、自分が取るに足らない存在で、家族の生活に必要なお金を稼いでいるだけって感じて、まさにそれこそが自分の選択の結果であることを、身体と心が弱った状態で辛く感じている自分の偽善者ぶりに大いに失望したのだった。

僕は心のどこかで、もう終わりにしたいと思ってる。でも元来が真面目な性格で直しようがないから、生きてる限りはどうにかこの曲がった根性を叩き直して人様になるべく迷惑をかけず、生きてるだけで積み重なっていく罪を滅ぼそうとして生きる。

結果、人と愛を分かち合うことに失望しながら、どれだけ自分が夢みがちで単純なバカなのかを身に沁みて感じながら、元来の孤独に収まり身体を安定させて、日々を生きる。

多くの人は、人を愛するのではなくて、その人が自分に対していいことをしてくれるからという理由で人を大切にする。無償の愛はこの世界でなかなか見ることができない。この人生でそれを見たのは幾度か。

無償の愛を与えたいとは思うが受け取りたいとは思いたくない。それは意識すらしたくない。

多くの人に誤解されながら死んでいった父のことをふと思い出す。あんなに不器用でストレートな人間はなかなかいない。少なくともあいつは、それについてギリギリなんとか毒を吐かずに人生を終えたようだ。その辺の強さはもうだいぶ前から感じてる。

これは母性と父性の問題なのだろうか。二極化してわかりやすく説明をつけながら、どこかで大事なニュアンスが抜けてしまっている感覚がある。僕はこうした類の思考をしないから苦手だ。ジェンダー、性差などに落とし込むと本質が見えなくなることが多々あるが、そこを議論できる相手はほとんどいない。

胸に爆弾を抱えながら生きると、明日に期待するなんてできなくなる。僕はあまりにも遅い方々をずっと待ち続けている。何が遅いかって、自分の人生でやりたいことをやる行動が遅い。思ったら今すぐやれ。でないと後悔することになるよ。結果を出すことなんてどうでもいいから。結果を予測するなんて烏滸がましいことはやめて、ただ始めれば良いのだ。始められないのは、あなたの小さな頭で未来を悲観的に予測する癖が抜けてないだけだ。未来の枝は無限に分かれているのに、間違った経験則の適用ばかりしてるだけなのだ。

やりたいことを始める。それは壮大な話ではなく、今すぐに開始可能な話なのだ。

好きなものを食べなさい。寝たい時に寝なさい。遊びたい時に遊べ。サボりたい時にサボれ。サボるなんてワードを自分に当てはめることすらやめろ。いい人になろうとするな。立場の責任を負うことをやめろ。特に母親は子供に対して背負いすぎだ。あなたは母親である前にひとりの人間であり、神に祝福されて生まれてきたのだ。あなたにも母がいる。たとえ生きてようが死んでいようが、会ったことがあろうがなかろうが、父母なしにこの世に生まれた者は居ないのだ。

父母に期待はするな。産んでくれただけで奇跡なのだ。そしてそれは、子に対しても同じ。

父母に対する期待があるから、子に期待をかけてしまったりするのだ。子離れできないのは愛ではなく鬼子母神だ。鬼子母神の話を知らないなら検索でもしてすぐに読めば良い。

わたしは愛する人と愛のある時間を過ごしたい。でもそのためには互いに向き合う願いや波動が欠かせないのだ。

残念ながら今それは叶っていない。

感謝という言葉が邪魔をするのだ。感謝するから恩返しが起きる。恩返しは無償の精神とはかけ離れているのだ。Payback は要らない。Pay forwardでもなんでもしてください。皆さんの「借りを感じる癖」にはほとほとうんざりしています。