すべての君へ

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紀伊半島への旅を終え帰宅した僕を迎えたのは、大切な飼い猫と、大切な人のひとりが書き残したメッセージと、彼女に預けていた僕の部屋の合鍵だった。
僕はすべてを察し、すべてに対するかつてないほど深い悲しみを胸に、それでも流れた涙は一筋だった。僕の理解は調和とともにあった。悲しみとは常に、過去の経験のうちで最も深い悲しみに対して感じるものだ。なぜならすべては繋がり、調和しているから。

旅の疲れで沈みゆく意識のなか、僕は彼女に次のような長いメッセージを送った。
言葉は自然に湧き出し、まるで他人が書いているかのように僕の手は自然に動いた。

翌朝、自分の書いたメッセージを読み返した。
このメッセージは、この人生で関わっているすべての人々、つまり世界中の人に対して僕が思っていることなのだと認識した。
わかりやすくするために一部校正しているが、僕が彼女へ送ったメッセージをほぼそのままここに記すことはとても意義のあることだと思い、記載する決断に至った。
これは彼女に対してのみならず、私も含めすべての皆さんに贈るメッセージです。


みんなの幸せを考えて行動してきた。
君の幸せも考えて行動してきた。
誰も不幸にならないために自立は必要だと知った時から僕は自分の持つ愛に目覚めました。
君が選ぶ道を否定したことはない。
君は様々な段階で成長しながら君の枠の中で物事を捉え、僕が君に対して言うことを聞かせていることについて、君はあるレベルでの強制と受け止めるけど、その癖にいつか気づき治していけたらいいねと思う。常に僕は君の立場に立って、自分ならこうするという視点を伝えてきたつもりです。
君がいま迷うどの道を選んでも、僕は常に君の味方でいるということを伝えてきたつもりだった。
ただひとつ君に理解を促したかったのは、将来の選択は100%自分の夢であるべきで、たとえ親であってもどんなに愛する相手であっても、他者が君の人生を使って叶えたい夢を混ぜてしまってはいけないということだけでした。

君は僕が反対していないことを反対していると思い込んできた。何度指摘しても、何度でもそう思い込んできた。僕は君が選ぶ限りどの道でも応援して行く気持ちで決まっていた。
けれど君はなぜか、わかってあげられなくてごめんと書き残した。僕のことをなぜわかってあげられないことが去る理由なのか全く理解できなくて悲しかった。人は他人を理解できなくて当然で、それを受け入れながらも生きて行くものなのに、何故僕は君から理解されないことを理由に君がいなくなるのか分からなくて、混乱して、悲しくて。

人は皆孤独だということを僕は理解している。だから人は時にことなる場所で生きることが必然となることもある。しかし君は僕にただ永遠の別れを書き残して去った。僕はそんなに罪深いことをしたのだろうかとまた悲しくなった。かぎりなき誠実さの果てにこんなかなしいことがあるなんて信じたくもなかった。

君は「同じところまで行きたかったけど、そうやってたら私は目標を達成できません」と書き残した。僕はその「同じところ」がどこの事を言っているのかと考えている。愛の深さの話なのか、それともまた勘違いされているのか。
僕は君の思い込みを一つも解除してあげられなかった。
自分の思い込みに気づけない君を見ていて、いつもかなしい思いをしてた。でもかなしい顔をしたらきっと君は内観を深めることよりも先に他者のために頑張ってしまうだろうから、かなしい顔はいつも見せずにやってきた。君には決して僕を含め「他者のため」に自分の人生に関わる行動をして欲しくなかった。すべて自分の人生なのだから、自分のためという理由で行動できる人、つまり大人になるステップを踏んでくれる事を願ってきた。

いつも太陽に願っていたことは人々の幸せ。その人々の中には君もいる。他のみんなもいる。自分もいる。
そして僕は誰に対しても常に真剣に生きることしかできない不器用な人間です。
たとえ悲しくても、自分だけの利益のためだとか、自分が大切にしてる一部の人(家族、恋人、友人、同僚、お客さんなど)の利益だけのためとか、そんな偏ったことはできない性分なのです。

だからこそ、君だけ特別扱いはできなかったし、それは大人として当然のこと。君のまわりにいる人々の多くはそれが出来ず、それぞれが見えている範囲(自分だけ、家族だけ、など)を優先する人だから、その考え方を引き継いでしまっている君に、成長してほしいと願ってきた。

自分や家族だけの幸せを得ることに必死になっている君を見ていて、僕はいつも胸が張り裂けそうでした。
何度もくじけそうになった。
別れを提示されるたびに僕は悲しさと同時にホッとした気持ちまで生まれそうなほどに悲しかった。
でもそれをやめるわけにはいかなかった。
今ここでこんなメッセージを書いているのも、やめられない理由があるのです。

僕がこうして君と向き合ってやってきたことを諦めてしまったら、それは君の幸せを諦めることになるのです。もし僕が間違っているのなら心から教えてほしい。そうでないと僕は自分の信じてきたものがもし間違っていたとして気づけていないから。僕は、自分のことは自分で決めることが大切だということを伝えてきたつもりです。どんなに愛する人でも、その人の希望を叶えるために人生の選択をするのではなく、あくまで決めるのは自分である。

愛する相手が自らの100%の意思で決めたことであればそれを心から応援できる。
その決断が100%自分の意思でないことが僕という名の君の鏡にうつる場合は、君の不安や迷いに気づかせてあげられる誠実な鏡でありたい。

君の人生なのに、君の家族が決めた選択(進路・考え方などすべて)を受け入れる君を僕が許容してしまうことはすなわち、僕の真実や僕の愛を信じてくれているすべての人を裏切ることになる。

僕はときに神社に行き、お寺へ行き、友達に会い、親に会い、人生の先輩に会い、自分の心が曲がってないかどうか常に確認してきた。僕が間違っていたら、君をはじめ多くの僕の関係者達を裏切ることになりかねないからだ。僕は常に正直に、裏表なく生きていたい。そのために行動してきたつもりだし、これからもそうするのだ。

人にとって一番大切なのは、頭の良さでも学歴でもない。見た目の美しさでもお金でもない。
一番大切なのは、心の美しさなのだ。
自分の心が美しいかどうかは、自分の胸に手を当ててみれば自分が一番よく知ってるはずだ。
自分の心の美しさに誓いを立てられるのならば、逃げの言葉、言い訳で自分を正当化している人はすぐにわかる。
僕は君の心の本来の美しさを取り戻すことを先延ばしにする君を見て悲しさを覚えながら生きてきた。
先延ばしは無意味。
先のことを語るのも無意味。
どうか、自分自身の希望を通すことはこの世界では当たり前のことだと気づいてほしい。
これからはもう会えないかもしれないけど、それでも君が君自身の正義を見つけ、通す時がくる日を信じています。
今は家族にまだ縛り付けられている自分をよく認識していただければ幸いです。

今までもこれからも、僕に言い訳をする必要はありません。僕に言い訳をする時、それは自分の中で何かを無理に納得させようとしている行為であると気づいてくれるかな、といつも思ってました。
きっとそれは、自分がやりたいことは常に家族の合意を必要として生きてきたからそういう癖になってしまったのかなと思いました。もしかするとご家族はそんなつもりはないのかもしれないけれど、君にはそう感じられたのだから仕方がない。でも家族にも僕にも、合意を取る必要などないのです。
ここについては何度も聞いて耳タコ気分かもしれませんが、何度話してもその本質を捉えられずに表面的なところだけしか読もうとしない君を見て、疲れました。
でもきっと回復したらまた、続けていくのだと思います。

言い訳とは、常に自分に対して発しているものなのです。たとえそんなつもりがなくても。

伝えたいことが結局最後まで理解してもらえなくて、とても悲しいです。
伝えることの難しさを知りました。

さようなら。

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