ふと降りてきた。
意識が我として存在すると仮定した場合における、いまの僕という個人が行動指針としている希望のすべてに対する世間の理解は、すべて死に収束しているということを悟ってしまった。
簡単に言うと、僕がいま大切にしていること、毎日伝え続けていること、いままでの人生の点と点がつながって一貫性が確保された僕の人生の集大成である目標意識が、僕以外の他者にとって腑に落ちるようになり、さらには心底から理解を得られるようになるためには、僕の死というイベントが欠かせないものであるということに気がついてしまった。
できることから手をつける。
そして僕はおそらく、生きている間に収穫することに大して興味を持っていないのだろう。
ザッカーバーグが言っていること、共感できる部分と、その先を見ている部分がある。
ザッカーバーグはミレニアム世代の代表としてひとつの形を残した。
僕は彼よりもずいぶん年齢的には上だけど、そんなことは関係ない。
おそらく僕はこのまま死ぬまで理解されず、死んでから理解してもらえるのだ。
人生って奇遇だ。
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