クトゥブ・ミナール

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1993年に世界遺産(World Heritage)に登録されたクトゥブ・ミナール(Qutub Minar, قطب منار)。
この場所にミナレットを建設したのは、今から遡ること800年以上も昔の話。
これこそ本物のヘリテージw

ミナレットとは、モスク(イスラム教の礼拝堂)にある、アザーン(礼拝時刻の告知)に使われる尖塔のことです。

緑に覆われた広い敷地には、観光客、車、物売りがたくさんいて、活気にあふれています。
しかし一旦敷地内に足を踏み入れると、そこは別世界になります。

▼クトゥブ・ミナールの入り口

門の形状(上の方がすぼまった形)が、この建物がイスラム様式であることを主張しています。
ここがゾーンの入り口になりますw
ロック時間はありませんが、入るためには250Rs.(約750円)必要です。

チケットを見せてゲートをくぐった後は、しばらく木々に囲まれた公園のような風景が続きます。

しばらく進むと、入念に手入れされた芝が青々しい、荘厳な広場が目の前に広がります。
見渡すと、そこにはミナレットがどーん!
ほんとに、どーん!です。

クトゥブ・ミナールのミナレットは、世界最大だそうです。
ちょっと近づいてみましょう。

もっと近づいてみましょうw
▼世界遺産の証がありました。

インドで見る世界遺産は、マハーバリプラムの海岸寺院以来、2箇所目です。

クトゥブ・ミナールは、北インドがムガール帝国に支配される前の時代に栄えた、デリー・スルタン朝最初の王朝である、マルムーク朝のスルタン(皇帝)、クトゥブッディーン・アイバク(قطب الدين أيبك, Quṭb al-Dīn Aybak)によって建てられたクワットゥル・イスラーム・モスクの一部です。
はい、舌かみそうですねw
西方から勢力を伸ばしてきたイスラム教文化に席巻される前、この北インドではヒンドゥー教やジャイナ教が盛んでした。これらの寺院を破壊して、その石材を使って建設されたのがこのイスラム寺院だそうで、そのときの建築を行った職人もヒンドゥー教徒が多かったためか、建物のほとんどがヒンドゥー文化とイスラム文化の交じり合った造りになっています。
南インド(チェンナイ、マハーバリプラム、カンチープラムなど)で見慣れていた建築はほとんど全てが、ヒンドゥー文化100%のドラヴィダ様式の建築だったので、どのへんからヒンドゥーで、どのへんまでイスラムなのか見分けながら楽しむことができました。

話がそれました。
さて、接近してみたミナレットはどんなもんでしょうか。

写真からは伝わりにくいと思いますが、かなり大きくて迫力があります。そして、彫刻が素晴らしい。この写真で見えている紋様は、たぶんイスラム100%ですね。たぶん。w
このミナレットは、マルムーク朝時代にこの土地を征服したイスラムの勝利を誇示する為に建てられたといわれています。
初代皇帝のアイバクと、3代目皇帝のイルトゥトゥミシュが建造。その後マルムーク朝は滅び、ハルジー朝の2代目皇帝、アラウディンが増築。
(増築って大丈夫なんだろかw)
そのまた半世紀後に、トゥグルク朝のフィーローズ・シャーによって、4層目と5層目が増築されたそうです。
シャーといっても、赤い服は着ていません。たぶん。

もともと100mくらいの高さがあったそうですが、落雷などで先端が破壊され、いまは70mちょっとだと、警備員のお兄さんが言ってましたw
その後、その警備員のお兄さんはすべての建物を詳しく解説してくれて、ガイド料50ルピーを巻き上げて去っていきましたw
だって、払わないといつまでもペラペラ説明しながらついてくるんだもんww

▼門に、オウムがたくさんとまっていました。

▼中央の広場です。

警備員ガイドのお兄さんがいたところですw
どうやら小学校の社会化見学(?)シーズンとぶつかってしまったようで、制服を着たかわいい子供たちがたくさんいました。

ここで、クトゥブ・ミナールのもうひとつの目玉。
UMAとか好きな人なら多分知ってる、錆びない鉄柱、デリーの鉄柱(チャンドラヴァルマンの柱)です。

まんなかに生えてる細長い柱がそれ。
いやこれ、写真で何度も何度も見たことがあったから、本物を見ることができてすっごい感動しましたよ!!!
ちなみにこれ、1500年以上前に作られたもので、なんとそんな昔に作られたのに、99.72%というすごい純度の鉄で出来ています。
地下に埋まった部分では腐食が始まっているらしいですが。
表面はどうかというと……

錆びてるやん!!
「絶対に錆びない鉄をも錆びさせるインドの摩訶不思議をどうぞお楽しみください」とほざく人もいるらしい。
まあでも、錆びてるのは表面だけなんだよね。すごいよね。
科学的にはきちんと解明されていないっぽいけど、どうやら日本刀と同じような加工がなされているらしい、と聞いたことがあります。
▼表面に刻まれているのは、サンスクリット語です。

▼説明文。興味のある方はどうぞ。

▼中央広場を囲む回廊にある、たくさんの柱。

この柱の模様が、ヒンドゥー的紋様と、イスラム的紋様を意図的に交互に組み合わせているらしいです。(警備員ガイドのお兄さん談)
確かに、さりげなくヒンドゥー教の神様が掘り込まれてます。

▼ガネーシャ

▼シヴァとパールヴァティー(シヴァの奥さん)

他にも、ヴィシュヌとかハヌマーンとか色々いました。
ヒンドゥーの神様が見分けられるようになってきて今日この頃、ちょっとやばいと感じていますw

奥にあった別の建物。

ここに住んでるとしか思えないオバチャンに無理やりカメラを奪われ、写真を強制的に撮られ、金をくれといわれましたw
10ルピーわたそうとしたら、20くれとw
まあでも、この場所を熟知しているオバチャンだけあって、素晴らしいアングルでとってくれたので安いもんか。
もっと右!とか奥!とか左!とか、立ち位置の注文がすごかっただけのことはあるw
オバチャンにとって貰った写真だけは、自分が写っているのでアップしませんヾ(´ー`)ノ


こちらは、もうひとつのミナレット、アライ・ミナール。
見てのとおり、下のほうしかありません。
これを作ろうとしたハルジー朝のアラウディン。クトゥブ・ミナールの2倍の大きさになる予定だった。でも地上24.5mまで作ったところで亡くなってしまったので、そこでおしまい。

▼表面は、荒れ放題ですね。


▼リス激写!たくさんいるのですよ。かわいいヾ(´ー`)ノ



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