会社の人たちとお昼(和食)を食べに行ったときのこと。
同僚のMさんが、ごはんのおかわりをするときに、茶碗に米をほんの少しだけ残しておかわりをもらった。
それを見て僕は、昔いた会社で起きた面白い話を思い出した。
当時の同僚Aさんがごはんをおかわりするときに、同じように茶碗に少し米を残しておかわりをした。
それを見て自分は「おっ」と思ったんだ。けれど、一緒に来てた別の同僚のBさんが、「ごはん残ってますよ、失礼じゃないですか」って余計なことを言ったもんだから、Aさんはカチンときてしまった。
「おかわりをするときには、お米は茶碗に少し残すのが正しい」と。
実はこれ、自分も同じように教わってきたんだけど、なかなかそれを実践している人にはお目にかかることがないから「おっ、やるねえ」と思ったわけ。
結局そのときは、どっちが正しいか結論が出ないまま終わったわけだけど、後で調べてみたらやっぱりご飯をお代わりするときには、少し米を残すのが正しいことがわかった。
でもそれは懐石料理のマナーとして書いてあったので、それが正しくない場合もあるんだと思う。
ある家庭では、まったく逆の躾をしていることもあるのだ。
後に知り合った人は、「おかわりをするときは、きれいに。食べ終わったときは、明日の食料に繋げるという意味で米を数粒残すように教わった」と言ってた。
ちなみにその人の親は皇室の遠縁にあたるから、間違ってる!って言い切れない。
まあ礼儀作法なんて自分の地域や自分の家系でしか通用しないこともたくさんある。
自分は祖父母にかなり厳しく仕込まれたんで、逆にいつまでもかしこまっちゃってて、なかなか打ち解けられないっていう悩みがあった。今はもうないけどね。
結局のところ、礼儀作法というものは、相手に不快感を与えないためだとか、共通のルールがあるとお互い楽だからとか、そういう理由ではじまったものなのだから、自分のルールを押し通して相手に不快感を与えるのはまったくの間違いだと思う。
時代とともに色々と変化もするしね。
自分が子供の頃のルールを今の子供に適用しようとしたら、大変なことになるだろう。
ちなみに自分が結婚してから最初に驚いたのは、かみさん方の姪が、義父母(姪にとって祖父母)に対して「じじ」「ばば」って呼んでることだった。
自分が幼稚園児の頃、祖母を「ばば」って呼んで猛烈に怒られた記憶がある……。なんて思ってたら、その数年後に自分の実妹に子供ができて、自分の実家でも「じじ」「ばば」って言葉が普通に使われていたw
来客のときには玄関先に正座してお客様をお迎えしたり、毎晩寝る前には正座して両親と祖父母におやすみなさいの礼をしたり、正座の仕方なんて足の指の置き方から、しびれたときの対処のしかたまで叩き込まれたし、足をくずしてくださいと言われてもくずしてはいけないとか、座布団を勧められたらまず遠慮するだとか、座布団や敷居を踏んではいけないだとか、布団の畳み方だとか、上座、下座だとか、毎日祖父母と暮らしていたから、日々いろんなことを教わった。ちなみにそれは父方の家で、祖父は元軍人、祖母はお琴の師範で良家の出身みたいな家だったから、商人家庭から嫁いだ母はそんな家に嫁いで大変だったんだろうなと思う。
でも不思議なことに、小学生の頃に祖父母との同居生活は終わったんだけど、今度は両親が代わりにうるさくなったことw
しかしせっかくそんなに頑張って躾をしていただいたのに申し訳ないが、今じゃ畳の上じゃ立て膝、あぐらが当然だし、当時の習慣はほとんど残っていないw
良かったなと思うのは、かしこまった場所に行っても臆することがないことや、長時間正座していられること(これは今じゃあんまり需要ないかw)くらいかな?
最近気になるのは、相手に対する心遣いを金銭的価値観ではかる人がとても多いこと。
「これだけお金をかけたのに」とか、
「これだけケチられた」とか、
「どうしてそんなことにお金をかけなきゃならないの」みたいな。
相手に心を尽くせれば、形はなんだっていいんだよなぁ。
ただ基本はできてないと恥をかく場面もあるだろうから、基本は押さえて、応用するのは大人の侘びさびというか、楽しみみたいなもんです。
それが通じない相手だとがっかりしてしまうんだけど、もはや通じない相手が多いから最近じゃほどほどにしてます。
なんだか書いてることが意味不明っぽく見えてきたので、ここらへんでやめとくw
コメント
へー、ごはんちょっと残しておかわりするのが正しいんだ。
でもそれだと合計1.8人前くらいしか食べられないじゃない。
ちょっと残すっていったって、ほんの一口くらいだよw
でも、相手が理解してないと変な人だと思われるから、やらなくていいね。w