A summer day

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夏の青空。

でっかい入道雲、突き刺す陽光。くっきり縁取られたビル群。輝く深緑。騒ぐセミのバンジョー。

摂氏36度の猛暑のなかを歩く。

あえて日陰なんて選ばない。僕は夏が大好きだ。
汗が心地よい。

暑くなればなるほど、エネルギーが湧いてくる。


友人と会う。

時間の流れのなかで、得てきたものと伝えてきたものを再分析してみる。

予測できることと、受け入れることは別のフェーズ。

わたしたちは受け入れたり受け入れなかったり、都合という頭を使って選択をしている。

いや正確には、選択しているようで、その表面的な選択は真の選択に対してなんの影響力も持たない。

得てしまったインスピレーションは、具体的な形はどうあれ、最終的に受け入れる以外の選択肢をもたない。なぜならそれが意志というものだから。

意志というものは多くの志の和であり、わたしたちは個々の選択をしているようでしていない。それでもなおわたしたちには個の自由があるのだ。個の自由とは個が真に欲するもの、つまり使命に己が認識することにほかならない。わたしたちは使命から逃れることができない。なぜなら使命とは他者に強制されるものの逆位置にある。自らが欲するものであるからだ。

ときに運命は残酷な断面をみせる。しかしそれはあくまで断面であり、全体の流れを理解すれば必ず自らが求道した結果なのだ。その視点を得れば、この世に不幸や不本意というものは存在しないという理知が見え隠れしてくる。

そう、この世界は過去も未来も調和しており、ただそのとき必要な流れがそこにあるだけだ。

願ったことは、想像を絶する力をもつ。
願いを現実化する方法のひとつに、言の葉がある。言の葉は強力であるから、言の葉には常に責任が伴う。言の葉の使い方に注意していれば、だんだんとわかってくる。

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