氷上で転ばないようにそっと、そっと歩いていると、たいてい転ぶものだ。
僕にとってここ何年かの生活は、チャーチルが「自分の中の黒い犬」と呼んだ病気、躁うつ病(双極性障害)との闘いが中心だった。その間常に感じていたのは、自分の中から何か大切なものが失われていっているような感覚。それが何であるのか突き止めたいけれど、いつも僕の思考からうまくすり抜けていってしまう。あるいは、そんなことを考えている余裕の無い暮らしをしていた。危機感だけが募るけれど、毎日の生活で病気のことばかり考えていては、なかなか思考も切り替わらず、前に進むことができない。
最近になって、頭が晴れ渡っている時間が増えた。非常にすっきりとした、若々しい感覚になることができる。そういうとき、普段(調子の悪いときが「普段」になってしまっているのは残念だけど事実)考えも及ばない、本来の自分の感性で物事を観察したり考えたりすることができる。そして、だんだんと今の僕が置かれた状況と、足りないことが何なのかが見えてきた。
時にはリスクを度外視した大胆な決断と行動が必要
実際のところ、自分はエリートコースからドロップアウトした傷をずっと引きずったまま生きていて、これ以上落ちようのない最低のところからスタートを切っている。
しかし今の自分の生活や知識や交友関係があるのは、その苦い過去をバネにしてきたからだ。誰にも負けたくないという強い意思がモチベーションとして正しいかどうかは別として、それによって人より努力し、ときにはリスクを冒して大胆な賭けに出て、勝ち進んできたのだ。
逆に言えば、そうするしかなかった。スタート地点の異なる人たちと対等に渡り合い、乗り越えて行くためには、それ以外の手段を知らなかった。
つまり自分にとって、人生とは勝つか負けるかの勝負事だったように思える。
いまの自分はどうだろうか?
現状を維持することに固執して、何も前に進んでいない。
失敗を失敗として受け入れず、成功するまでやり通すガッツがない。
闘っていない。力を出し切っていない。
僕の病気が原因でそうなのか、それともこれが病気の原因なのか、または病気とは一切関係が無いのかは、まったくわからない。
とにかく、昔は常に心の中にあった、いまにも爆発しそうなほど熱く燃え上がる炎が、なにも感じられなくなっていた。
マンション買っちゃってローンがあって無茶することが怖くなったか?
そうかもしれない。
いまの生活に満足しちゃったか?
そうかもしれない。
ひとつ気付いたことがある。いままで自分は、自分以外の世界を相手に闘ってきた。でも、今は自分以外の世界が闘う対象として認識されていない。ここがいけない。
何がいけない?
闘う相手は、常に自分自身でなければならない。
限界まで頑張ってこそ、生きていることが実感できる。
それは、昨日の自分を乗り越えるためだ。
自分自身こそが最大の敵であり、最良のライバルだ。切磋琢磨して生きていると、人と会うことや新しいことに挑戦することが楽しい。失敗してもいい。また挑戦すればいい。
という、ごくごく当たり前のことを、久しぶりに考えた。
こういうことは、常に頭に置いておかないといけない。
平凡に暮らすことを目標としたら、守るために傷だらけになる。
攻める人生を目標としたら、成果を得るに傷だらけになる。
どちらか選べと言われたら、間違いなく後者だ。
こういう思考回路に自分を戻すことができたのは、何のお陰だか分からないけれど良かった。嬉しいというよりホッとした気分。
コメント
目標なんてもたなきゃ傷つかない。
ただ、その日その日、やるべきことを確実に成せばいい。
「明日出来ることは今日しない。人ができることは自分でやらない。今成すべきことを懸命に成せ。」
遠い昔のどっかの国の誰かの言葉。www
>よも
自分がどういう人間か、どういう生き方をしたいのか、限られた時間を何に費やして生きて行くことを望むのか、それを決めるのが目標だと思う。
明確な目標を決めずに山を登ったって、いつまでたっても山頂にはたどり着かないし、そもそも山頂を目指してるのかどうかもわからないまま、ただ彷徨う毎日になる。
目標が定まれば、自ずとそこへたどり着くためには何をしなければならないかが見えてくる。
それが目標達成のための計画であり、手段であり、作戦だ。この立て方でその人の持つ力が試されると思う。
長期計画は大雑把で構わないが、短期計画の緻密さと万が一道を外れてしまった時の冗長性は、個人の経験と能力が試されるところだと思う。
いまの自分は道半ばにちょっとした楽に休める空間を見つけて、そこに佇んでいるうちに、何処へ向かおうとしていたのかわからなくなっているばかりか、今までここへたどり着くまでの道のりも、正しい判断をしてきた結果なのか、そもそも判断なんてしてきたのか、疑問を感じている。
明日できることは明日やれば生きていける。
けどそれでは、それ以上の何も成すことができない。