21世紀における働く場所と組織の意味

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インターネットやクラウドサービスの充実、そして業務の電子化により、多くの人がどこにいても仕事ができる環境が整ってきた。 特にここ2-3年の進歩たるや口をあんぐり開けて見守るしかないような状況で、しかし業界にいる以上は最低限の知識を持たなくてはならないので必死です。楽しくなきゃやってられないね、こんなこと。

今回は働く場所について考えてみようと思う。

特に僕が今いるような情報産業に関わっている人にとって、働く場所がオフィスであるべきなのかどうか、様々な意見がある。

ノマドや在宅勤務には、間違いなくメリットがあるし、この流れは人類の進歩のワンステップとして避けられないものだと思う。従来型(オフィス勤務型)にもメリットがあるという考え方の方も多いと思うが、その良し悪しについて議論するのは既に意味がなくなりつつある。世の中はもうそっちに流れていて、誰にも止めることはできない。何年先、何十年先には、オフィスに集まって仕事をするほうが珍しい時代がやってくるはずだ。なぜなら、集まる唯一のメリットは潤滑な意思疎通であって、それもメリットでは無くなりつつあるからだ。最後に残る問題は個々の問題で、オフィスに行かないワークスタイルに慣れることができるかどうかに尽きると思う。また、そのためには「何時間働いた」という考え方から「成果」という基準に切り替える必要のある組織も多かろう。

たった20年ほど前には、オフィスのデスクでも電車のホームでもタバコを吸ってる人がたくさんいた。今では考えられないことだ。携帯電話もなかったし、電話ボックスが駆逐されるなんて夢にも思わなかった。なんでも食べる現代の日本人に和食の方が体に良いといくら触れて回ったところで、イタリア料理を食べるし、世界中の人が寿司を食らう時代だ。食のグローバル化を止められると思ってる人なんていない。

近い未来の私たちがいまの時代を振り返ってみたら「へぇ~、昔の人はみんな同じ建物に集まって仕事してたんだ」と思うのだ。

これでますます、組織の存在意義が問われることになると思っている。組織はただ集まって時間を潰す場所ではないということが明確になるのだ。組織を構成しているひとりひとりが、インプットを得てアウトプットを出す。そこには皆が同じ組織にいる理由が必要で、終身雇用の崩壊も相まって、新卒で入社したからそこにいる、なんて理由は無くなっていくに違いない。人材は流動化し、組織が掲げる目標に共感できたもの、組織の力を使って夢を実現したい同志が集まる、それが会社というものになる。

これこそ本来の組織のあるべき姿なのではないだろうか。インターネット上にある同じ趣味の人が集まったコミュニティは無数にある。そのコミュニティという団体と、会社という団体のどこに違いがあるのか、考えてみるのも面白い。

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