まったくもってよくわかる例えだ。自分も同じような経験があるし、社会経験があれば程度の違いこそあれ誰でも似たような経験があるのではなかろうか。特にこの日本においては。
今は自ら進んで社畜文化に足を突っ込んでいる部分が多々あるわけですが、それでもやはり毎日葛藤なのです。
組織に身を置くっていったいなんだろう?→ひとりじゃできなくて大人数ならできるものを作りたいから→それは本当に世の中に必要なものなのだろうか?→使う人(需要)があるのだから作ろう→需要を生み出すプロパガンダに毒されていないか?→では一体、ヒトの生活において幸せの定義とは何か?→人それぞれである→価値観の提案と価値の押し付けの境界線を考える→組織で何かを作るにしても、それが現代のよくある形式「会社」である必要があるのだろうか?→個人のゆるい集まりでプロジェクトベースの何かがあってもいいのではないか?→結局組織にいることは言い訳である
みたいな。
大きな目標っていったい何だ?おそらく、今はまた勇気出して行動する時期なんだろうなあ。皆さんは大丈夫?
そりゃね、「考えると頭がショートしそうになる」のもよくわかるし、「考えても無駄」なこともたくさんあるのもわかるよ。でもやっぱりね、きちんと考えて納得していたい。それは実は、考えなくてもわかってるはずのことなんだけど、あまりにもこの世が病んでて異常だから、自分がわからなくなっちゃうんだよね。とくに日本とか、首都圏とかに住んでると。
日々のこまかい出来事に対してどう行動するか、そういうところから全部、自分の価値観の反映なんですよ。だから、きちんと「自分は何者であるか」「人生で何をしたいのか」「何が自分にとっての正しさなのか」を自分自身が理解してあげられるのがとても大切。みんなね、考えてないから自分を理解していないんですよ。
でもきちんと自分と対話すれば、本当はどうすればいいのか、わかる。
余談だけど、最近は伝えたいことを文章で伝えることに厳しさを感じていて、コトバの限界なのかな、とも思える。
だからといって映像化するのはとても労力かかるし、受け手に対して受け取り方の強制もしてしまうから難しい。
結局行き着くところは音楽とか絵画とか環境とか、アートになってくるわけです。受け手に委ねることは美しくもあり、もどかしくもある。それを楽しめるようになってこその人生の豊かさ。
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