愛車というパートナー

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【エリーゼの運命】

大田区にあるロータス車を得意とするショップ、BSK。

単独事故を起こしたあと、ロードサービス特約で48時間以内に入庫先を選ばなければならなかった。

エンジンオーバーホールでお世話になったTiRacingさんに入庫も考えたが、以前FRPの補修で電話相談した時に親身に対応してくれた社長さんの優しさが忘れられないBSKに電話をかけてみた。

やはりここの社長は優しかった。入庫を快諾してくれた。いつも電話に出るのは奥様だろうか。その方も優しさがにじみ出る話し方で安心する。

入庫から約1ヶ月が経過し、エリーゼを廃車にするか否か、結論を出すときがきた。

BSKの社長と電話で話をした。

売るとなると修理して売ることになるが、その場合修理代の方が高くついてしまう可能性が高い。

エンジンがオーバーホール済みとはいえ、需要が高いのはVVCやVHPDのモデル。スタンダードエンジンにはさほど高値はつかない。

部品取り用として売るにしても、パーツを下ろす工賃や保管料を考えると、たいした金額にはならない。

修理する場合、新品で全て直すとなると修理代だけでもう一台余裕で買える金額になってしまう。

そこで社長から提案を受けたのが、保安部品であるクラッシャブルストラクチャ以外は全て中古品あるいは板金で直す方法だ。

いま在庫の中古パーツだけでは直すことはできないが、流動しているので時間をかければ確保できるという。

海外から中古パーツを買う方法もあるが、それよりもショップに入ってくる中古品だけで組んだ方が安く上がる。

パーツが全て揃うまでは遠隔地にあるショップの倉庫で眠っていてもらい、揃った時点で見積もりをいただいて直す。

なんとも気長な話だが、直す決断をするのであれば時間はいくらかかってもいいという気持ちはあった。

社長からの最後の言葉が、心に響いた。

「このローバーエンジンのエリーゼ、僕も持っているんですけど、本当にいい車なんですよね。それに、もう作ってないじゃないですか。一台でも多くこの世に残してあげたいと思うんです。

林様がこの車を嫌いになっちゃったっていうんなら仕方ないですけど、もしそうでないなら、この車を復活させるためにぜひお手伝いさせていただきたいという気持ちです。

費用面は、我々のメカニックが工数をかければ本来それなりにかかってしまうんですが、そこは市場の価格も踏まえて、納得していただける価格でやらせていただきたいと思います」

提示された目標価格は、本来であればとてもそんな金額では直せないだろうという数字だった。

「僕は事故を起こしてから一ヶ月あの車と離れて暮らしてて、今でも無性に恋しくなるんです。あの車にはいろんなところに連れて行ってもらいました。思い入れがあります。」

ワクワクするんです。決して乗りやすい車ではない。パワステもない、ABSもパワーウインドウもない、雨漏りもする、集中ドアロックもない。路面の荒れはダイレクトに拾うし、車内はうるさくて、あちこちでいろんな音がする。ギアの入りだって今時の車と比べたら全然かっちりしてないし、高速道路でめちゃめちゃスピードが出るわけでもない。

それでも、車庫のシャッターを開けると魅せるあの流線型のグラマラスなボディには毎回ため息をつく。どんな角度から見ても期待を裏切らない美しさ。

キーをひねると、とても官能的とはいえない四気筒が荒々しく自己主張する。

不安定なアイドリングからアクセルを踏むと一転、全気筒が同調して、最新型のエリーゼにはない、低く乾いた排気音を響かせながら、ステアリングは限りなくダイレクトに、腰下が自分と一体化したような官能的なドライビングプレジャーを与えてくれる。

世の中の全ての車を見上げるような車体から見える世界は、道路に触れられるくらい低くて窮屈に思えるけど、屋根を外して見える太陽や星がそれをカバーして余りある。

山口や香川までロングドライブした帰りも、車庫のシャッターを閉めるときにその姿を見てまたすぐその場で車を出して走り出したくなる。エリーゼから降りるときはいつも、名残惜しいのだ。

過去に、ここまで僕を夢中にさせて、本気で所有したいと思わせてくれた車はこいつだけだ。こいつに乗って走ることを18年間も夢見てきた。

そしてとうとう手に入れたこの車は、決して僕を裏切らないばかりか、乗るたびに新しい世界を教えてくれた。

僕はまだこいつと別れる決心ができない。

修理代だけが問題なのだとしたら、まったく問題などではない。

僕はこいつを自分の相棒にするために、たくさん努力を積み重ねてきた。

側から見たらおそらく、理解してくれる人は少ないだろう。荷物も乗らない、人も2人しか乗れない、乗心地最悪のこの車は、確かに僕のハートを掴んで離さない。

僕はまだこいつを諦めない。

時間がかかってもいい、また一緒に走れるようになろう。

そう決めた僕の目には涙が少し浮かんでて、クルマというものにここまで感情的になれる自分を不思議にも思った。しかしなんの不思議でもない。僕はこのクルマを拠り所にしているのではなく、この車が世に出てくるために力を尽くした数多くの人たちの熱い想い、そしてBSKの社長や、エンジンを直してくれたTiRacingの社長、マスターシリンダーを直してくれたバイブリンゲン、メカニックの皆さんの溢れ出る情熱を感じているのだ。

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