とかいなか食堂・近況と展望 2019年2月

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たまには現実的なことを書いてみようと思います。

昨年3月に会社を退職し、退職前から携わっていた不動前(東京都品川区)の「とかいなか食堂」立ち上げに専念してきました。

資金ゼロからの立ち上げ。日々いろんなことがありました。
2018年8月から食堂としてなんとかランチ営業を開始し、仲間も増えて、まだまだ心許ない歩みではありますが、とかいなか食堂は独り立ちを始めています。
あえて「立ち上げ」と書いたのは、単純に「起業」と呼ぶのはちょっとしっくりこない感じがするからです。個人的には、コミュニティ、新しい文化、新しい社会、新しい生き方の創造といった側面を大切にしています。

こうした活動を続けていると、類似した取り組みに関する情報に触れる機会が増えますが、いまのところ断言してもいいだろうと思っているのは、とかいなか食堂は、今まで世の中に存在しなかった、まったく新しいものを作っている活動(の一環)であるという事実です。

TOWNSHIP LABOという謎の集団。自分で「謎」というのも変ですが、理解していただくためには様々な思い込みや決めつけを排除していただく必要があることを痛感しております。
ここで少しずつでも書いていくことによって、より多くの方に共感していただけるのではないかと思ってます。

とかいなか食堂は、スポーツマンシップ(スポーツマン精神)のように、我々が命名したTOWNSHIP(タウン精神?)を継承した新しい「生き方」モデルです。事業モデルというのもちょっと違います。

お金に頼らない社会づくり。
それって具体的にどういうことなのか?
メンバーですら共有できていないことがまだまだ沢山あります。
とかいなか食堂も、TOWNSHIP LABOも、まだまだこれからということです。

お金に頼らない社会。
本当に好きなこと、やりたいことを実現するワクワクで成り立つ社会。
継続性(サステナビリティ)を大切にし、地球と共存できる社会。
こうしたひとつひとつの「社会」の考え方は、上記のように1行で表現するだけだと、様々な誤解を生みます。

お金に頼らない社会とは何か。
単純に賃金を発生させないという話ではなくて、お金というものを頼る対象(依存対象)とせずに、単なる道具のひとつとして有効に活用できることが、お金がモノの本質ではないということを根付かせるために必要な過程であるとわたしは思います。

好きなことで生きていくとは何か。
ワクワクとか好きなことで生きるとか、そのようなキーワードは世の中にたくさん出回っています。そのワクワクは、本当のワクワクでしょうか。
世の中には、もっともっとワクワクできることがたくさんあります。
視野を広げる方向でワクワクしたいです。皆さんもそうじゃないですか?
知らないことを無視するのではなく、どんどん吸収して視野を広げて、その上でできることをするということは、「車輪の再発明」を避けることにも繋がります。

継続性とは何か。
とかいなか食堂を始める前からずっとずっと疑問だったこと。
たとえば無農薬野菜は健康にいいからといって注目されているけれど、本当に大切なのは、土を汚さないというところなのではないかという思いに至ったのも、食堂立ち上げのための活動を通じて、農業の現場に触れて感じたこと。
人間が自分たちのエゴのために何かをするということは、決して「お金のため」だけが理由ではないと強く感じます。無農薬って本当に体にいいですけど、無農薬だから何をしてもいいのかというとそうではない。
地球環境にダメージを与えながら作られた野菜は、農薬を使っていようがいまいが、継続性という点では考慮不足。
なぜなのかを知りたかったら、いま地球がどのような状態にあるのかを知ればいいと思います。
日本は食に恵まれています。お金の力で輸入もします。食料自給率はどんどん下がっています。まだ食べられる食料を捨てている量はどんどん増えてます。
どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。
日本人だけ幸せになればそれでいいのでしょうか。
ブランド食材が国内にたくさんあります。国内で、内需に対してブランド戦争がずっとずっと続いている。自分たちの地域だけいい思いをすればそれでいいのでしょうか。
結局、どちらも得しない結果になることが目に見えていませんか?

新しい説明を手に入れたきっかけの話。
たとえばあなたが自宅で自分の家族のために料理を作っている。
家族が料理のアドバイスをしてくれる。
その家族は、あなたからアドバイス料金をとりますか?

お金のために行動していないといいながら、結局お金が目的になっていることって、世の中に結構あります。
「わたしは○○が好きだから、より多くの人が○○の素晴らしさを知るきっかけになればいいと思って」という人はたくさんいます。
でもフタを開けてみたら結局、お金のためになってるんですよね。
お金のためにやることを否定しているわけではないんですよ。
ただ、ちょっと(かなり)もったいないなぁって思うんです。
何がどうして、もったいないと思うか、理解していただけたらいいなぁ。

心からいいと思っていることに対しては、「好き」って言葉が適切です。
「いい・悪い」ではなく「好き・嫌い」が、より個人的な嗜好を表す言葉として適切な世の中です。「いい・悪い」だと、その価値観を他人に対しても押し付けてしまうニュアンスが含まれているからですね。

菜食は良い(悪い)」(菜食に対する評価)
 →他人と意見が割れたときに価値観の押し付け合いになるか、断絶する。
菜食が好き(嫌い)」(菜食に対する個人的な嗜好)
 →他人と意見が割れても問題ない。

ってことです。

とかいなか食堂の価値は数多くありますが、たとえばその1つである「廃棄野菜(農家で思いを込めて作られた野菜が、様々な理由で大量に捨てられている)を活用している」という点についていえば、

「廃棄の再利用は良いことだ」としてしまうと、様々な問題点を見逃してしまう可能性が生じます。
廃棄の現実を見ると、既存の農業システムや流通システムの課題、農協の役割の硬直化、農家の利益率の追求、囲い込み、ブランド維持、経済観念、視野の問題など、様々なものの見方があります。
廃棄の再利用を「良いこと」としてしまうと「廃棄は悪いこと」という論理が成り立ってしまうのですが、農業の現状を知ることもなく単純に「捨てる=悪いこと」と断定してしまうのは、個人的にはそれはちょっと危険なことだと思います。

廃棄する野菜の育て方をする「人」や「組織」を責めても、何も変わらないし、関係が悪くなるだけです。
そうではなくて、廃棄せざるを得ない仕組みがどのようにできてしまっているのかを冷静かつ客観的に分析して、課題を洗い出し、解決策を出すことに意味があります。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、問題の原因を属人化させることは、解決のために何の役にも立ちません。

課題を洗い出すためには、まず課題を自分の目で確かめる必要があります。
そのためには、ステークホルダーと実際に会って、話す必要があります。
ただ話せばいいってもんじゃないんです。
本当の本音を聞くためには、信頼関係を構築する必要があります。
信頼関係を築くというのは、単に金銭関係や契約履行といったシステマチックな話ではなく、人として、個人として、人間性を信頼してもらうということです。
誠実であり、公正であるという人間性が必要です。
下心があったらできないことです。正直に生きている必要があります。

闘うべき相手は外部にいません。闘うべき相手は自分自身です。
自分の「エゴ」つまり我欲を持たず、純粋な心持ちがあるかどうかです。
人には誰にでも備わっているはずのものです。

たとえばあなたが素晴らしいと信じているものであれば、あなたが素晴らしいと思っていれば本来はそれでいいんです。

経営のマインドには様々な必須条件がありますが、経営というものを「営利を発生させてどんどん儲かればそれでいい」とだけ捉えていては、本来の経営は成しえないと思っています。

リーダーシップというものは、人の上に立ちたいというエゴから成すものではなく、自らの自然な行い・振る舞いが身につけさせてくれるものです。

とかいなか食堂・TOWNSHIP LABOの仲間になるということは、上記のような考え方によって「すべての人が対等である」ことを実際に実現することで、きちんと経営が成り立つということを身を持って体験するということでもあります。

目先の数字だけしか見ない癖のある人は、とかいなか食堂は失敗すると思っていますが、発起人であるわたしが反発を承知で強く断言しておくと、とかいなか食堂がうまくいくはずがないという評価をするのは、視野が狭い。

とかいなか食堂は世界に拡がるに十分なポテンシャルを持っています。わたしがそのように設計し、その考え方を日々理解しようとしてくれる仲間が増えてきているからです。それは自己賛美でもなんでもありません。わたし1人では成しえないと知っていたからこそ、仲間が必要でした。わたしも仲間の1人として、やれること・やりたいことをやってきただけ。
他のメンバーも同様です。

とかいなか食堂・TOWNSHIP LABOは集団的営利を追求していません。また、メンバー間の不明瞭な金銭的やり取りを推奨しません。

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