格闘ゲームの「調整」から学ぶこと

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YouTubeで、ウメハラが格闘ゲームの調整の歴史について語っている動画を見つけて、これがかなり面白かった。要所要所でかなり的確な分析をしていて、分析と実施のプロ、ウメハラを垣間見た。

格闘ゲームの歴史は、新しいコンセプトのゲームを作って、それを調整した続編を出す、の繰り返しだ。その流れの中でウメハラから大きなものを学んだ。

結局プレイヤーは、そのゲームでキャラのバランスがとれているかどうかなんて全く見てないんだよ。愛着のわくキャラクター、育てがいのあるキャラクター、操作してて楽しいかどうか。負けても実際に命とられるわけじゃない。

ゲームっていうのは、ただ工場みたいにパーツを決めて流れ作業で作るようなものではない。常に新しいことが要求される。前に作ったものを修正するのは、新しいものを作るのとは根本的に違う。

直しても直しても、いいものはできない。直すのは病院でしょ、とウメハラは言い放った。新しいものを作ることと、既存のものを良くしていくことは、全然違う。やっぱりウメハラはすごい。表現がいい。

世の中にはPDCAで回っている仕事がたくさんあるけれど、それでは新しいものは生まれないんだよね。クリエイターとは創造の最先端にいる人のことだけれど、実際世の中に衝撃を与えるような新しいものは、無から生まれる。もちろん過去のさまざまな土台があってこそ生まれるんだけど、無から生まれる。

これどうだ、お前たちこういうものが欲しかったんだろ?と、プレイヤー、ユーザー、カスタマーが想像すらしてなかったものを提示すること。そこに使う側の歓喜が掛け算されて、ムーブメントになる。

欲しいものがわかってない人と、欲しいものがまだ見えてない人の違い。

格闘ゲームで例えるならば、前者は格闘ゲームをやったことすらない人たち。後者は格闘ゲームファン。

格闘ゲームファンは、格闘ゲームにおける新しくて刺激的なものを求めている。また、今までプレイした格闘ゲームに対していろいろ思ってる。ファンだからこそ持っているいろんなモヤモヤを吹き飛ばす作品は、ファンを魅了する。

ところが格闘ゲームに興味のない者から見たら、そんなことはどうだっていい。

スト2の楽しさを広げるべく登場したスト2ダッシュは、格闘ゲーム史上最高の盛り上がりを見せた。
スト2ダッシュのバランスを調整したスト2ターボはどうだったか。

いいゲームとはなにか。バランスがとれているとはどのような状態なのか。公平性って一体なんだろう。そういうことについて思いを馳せることが結構好きで、いろいろ考えたり試したりするんだけれども、ウメハラの話は人をそのような世界に見事に導く、単純明快で美しいロジックだった。

登場キャラすべての強さに公平性があって、どのキャラを使っても勝てる要素は限りなく同じくらいに近づけて、ゲームそのものの出来としては高い評価を得ながらも、まったくヒットしなかった作品がたくさんある。一方で、ゲームバランスって何? みたいな無茶苦茶なバランスでも、20年以上愛されている作品もたくさんある。

「ゲームに負けたって死ぬわけじゃない」

公平性のヒントはここにある。ゲームの世界からいきなり話をメタ化して、現実世界でゲームのキャラを操作している我々人間の世界の話になるわけだ。そこに境界線がないところが、本気でそれを好きでやっている人の特徴だ。

作る側もプレイする側も本気でそれが好き。それが組み合わさったとき、いい作品ができる。

世の中の企業や製品を見てもそうなのだ。その世界に対して本気。その世界にいる製品リードに対して本気。その本気がバカみたいに本気である企業は、人の心を動かす。

どんな作品(製品)でも、出せば苦情やネガティブな評価はついてまわる。すべての人の要求を叶えようと思ったら、いい仕事なんて絶対にできない。

ゲーム制作だけじゃない。一般的な製品やサービス、そして政治なんかでも同じことが言える。

クレームというものへの企業の姿勢によって、いいモノが駄目になっていく過程。それも、実際には過去の「創作物」にいろんな手を入れていくから起きる。

世界的に評価されている絵画がここにあるとして、その絵に対して「ここの色がもうちょっとアレだ」とか「ここの描き込みが惜しい」とか勝手なことを言う人はたくさんいる。その声に答えてダヴィンチがモナリザに修正を重ねていったり、モナリザバージョン2とか3とか作り続けてたらどうだろうか。

それよりも、まだ誰も見たことがない新しい作品を見せてくれることにこそ、創造者としての価値がある。

アーティストもクリエイターも企業も、新しいことにチャレンジするのには当然、大きなリスクを覚悟する必要がある。ところが長いスパンで見れば、新しいことにチャレンジしないことのほうが、取り返しのつかない人生のリスクをとっていることになる。

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