発想から実現へむけて

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生きているうちにやり遂げたいことが既にたくさんあるのに、毎日新しいことが次々と増えてしまい、行動力がそれに追従していない。

アイディアをオープンにする必要性を感じてオープンにしてきたけれど、やりたいことを理解して賛同・共感してくれる人はあまりにも少ない。

思いつくことはすべて面白いことばかり(世の中にこんなものがあったらいいなとか)なのに、人に話すとすぐに金儲けの話からスタートしたがる。

人のつながりが足りない。面白いことを面白そうと言ってくれる人はたくさんいる。けれど、面白そうだからやってみようと言ってくれる人は少ない。こちらとしては勝手に盗んでやっていただいても大いに結構なのだが、本質を盗んでくれないから、カネに歪んで面白くないものを目指してしまう人のなんと多いことよ。

どうせ思いつくものすべてを生きている間にひとりですべて実現することは不可能なのだから、面白さを理解してどんどん現実にしてくれる人ともっと出逢いたい。そのような人は、ここ日本では100人に1人もいない。500人に1人いればラッキーだと思う。この確率の低さは、伊東先生の仰っていた「篩にかけなきゃ」「篩は動かしたらダメだよ」ということだ。

僕が思いつくアイディアはただの夢想ではない。楽しさの本質を理解してそこだけにフォーカスして動いていけば、結果は必ずついてくることばかりだ。カネが欲しかったらカネは手に入らない。儲けようと思ったら偽物になる。しかし儲からないとは言ってない。

何かを思いついたとき、その実現可能性について評価するのは当然のことだ。ただ思いつくだけなら誰でもできる。「タイムマシンがあったらいいな」とかね。

僕は現時点でタイムマシンを作る方法を思いつかないし、そんなことをやりたいなんて人に語ったりはしない。道筋が見えているから人に話すのだ。

果たしてこれは日本特有のものなのか? という疑問がよく頭に浮かぶ。その疑問の答えを得るためには、行動するしかない。世界には多くの国がある。そのほとんどは、まだ行ったこともない。海外出身の知り合いは少なくないほうだと思うけど、それでも世界の広さに比べたらまったく足りてない。

世界中のすべての国に友達を作りたいと思ったのは、そういうことだなと今になって点と点がつながる。

誰かの行動意欲(モチベーション)を上げるのは提案者の仕事だと思いこんでいる人と話をすると、がっかりする。行動意欲を上げるのは、本人の好奇心、感性でしかない。興味を持てないとき、その原因は説明者だけにあるのではない。聞いている側が耳に栓をしながら聞いているから、伝えたいことが伝わらない。

こういう状況になったとき、「ああ、このひとはカネしか見えてないことに自分で気づいてないんだな」「カネしか見えてない自覚はあるようだけど、常識化してしまっているんだな」「カネの常識を覆すチャレンジの重要性を頭では理解しているけど行動できるほどにはそのチャレンジを信頼できないんだな」と、様々な裏事情が会話から垣間見える。

人生で数多くの人たちとの出会いと別れを繰り返し、いまでも連絡がとれる人たちは、自ずとそういう話を理解できる人たちに厳選されてくるものだなと思った。

Q3の参謀であるF君は、他にはない鋭い視点をもった切れ者である。本人の自覚がまったく足りてなかった。僕はF君には何も教えない。既にある物事を認識するきっかけを作っているだけだ。そういう彼も世の中でブレーキをかけずに自分らしさを出したら「変わり者」として排除されることを感じており、自分らしさをまだまだ抑えているが、彼はいま、めまぐるしい変化を遂げている。それが急速で即席な進化ではなく、本来の自分を取り戻すスピードであることを本人は自覚していないけれど、傍観者である僕にはよく見える。彼はどんどん輝きを増して、魅力的になっている。その速度は、進化と自己解放の相乗効果なのだ。この勢いは、いままで自分を縛っていた人ほど多く現れる。

僕はこのように解放者の側面があることを自覚している。その人が語ることだけを真実としないからだ。事実を観察して、相手の欲していることを本人以上に読み解くことが得意らしいということを最近は自覚している。いままでは無意識にやってきたことだった。だからこそ、僕と話をしてきた相手から「久しぶりにやってやるぜって思った」とか「忘れてたものを取り戻した」とか言われてきたのだ。僕は相手を鼓舞するために話をしていないから、そういう言葉をいただいたとき、キョトンとしていた。

「あらゆる人には輝くものがある」。これを言葉としてしか理解していない人がほとんどだ。そういう人は話をすればすぐわかる。実際には何が輝いているのか見えないのに「あらゆる人には輝くものがある教」を盲信している人たちだ。そういうことを盲信して流布している宗教まがいの自己啓発セミナーとかビジネスグループと呼ばれるサークルがどれだけ多いことか。

愛する人が輝くダイヤモンドの原石だったら、それを昇華させるためにすることは、人として当たり前のこと、正直に接するだけでいいのだ。そこでお金を取ろうとか感謝されようだとか、そういう人たちは邪念があるというよりも、本質が見えていないのだ。

「愛する人」の適用範囲の問題だ。人生すべてが一期一会であることを本当に理解していれば、出会った人すべてを愛することなど簡単にできる。疑念や邪念がそれを邪魔している。疑念や邪念は相手の責任ではない。自分自身の中に宿るもので、それをなくしていくことが、正直であるということだ。

こうしたことは伝えようとして伝わるものではないから、ときには放っておくしかない。いや、ほとんどのケースで放っておくしかない。

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在」を生きることに思い上がりたくないのです

さだまさし「風に立つライオン」より

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