実用主義・合理主義・原理主義

世の中の原理主義(偽合理主義)が崩壊しつつある。COVID-19を合理で捉えようとしても答えはない。世の中を観察していると原理主義者たちは壮大な思い違いをしているようだが、実用主義(プラグマティズム)において合理的思考は必須であるが、全体ではなく一部である。(実用主義∋合理主義)

今回の世界的騒動によって、日本のみならず極東を中心に世界中に原理主義的思想が蔓延していることを確認できた。

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の全体像を見据える上で、視野の拡大は必須。それを阻害するのは、民衆が広い視野を得ることができない構造によって成り立っている一方公的なビジネスなど、現代の経済構造そのものの瑕疵である。これが明るみに出ることによって初めてソリューションを出すことができるのだが、前提の存在について議論し合う適切な場そのものが崩壊してしまっている現代社会において、少なくとも我が国において議論に十分な公平性が確保されたコミュニティは壊滅状態である。

そもそもウイルスとはなにか、病とはなにかについて多くの人が考え直す機会を得たという見方をすることができる。

病を語る上で欠かせない常識(現代医学)が医療の体をなしていないのであれば、前提を疑う必要がある。過去の研究が公正で適切なのであるとすれば、解釈に問題がある可能性がある。新解釈は常に、合理性において完璧であることが要求されるが、それが実際に為されようとするときに阻害要因となるのは既得権益者だけではなく、常識を覆せない人々だ。仮説を立てて検証する際に「もしそうであれば」という仮説を疑う議論をして、ブレインストーミングが前に進まないケースが多々ある。

学校で「答えはひとつ」と教えてきている弊害が大きい。高等教育を受けた者は円周率は3.14ではなくその続きがあることを知っているが、小学生は知らない可能性があるように、1+1の答えが2ではないケースも多々あるのにもかかわらず、それを知らぬ者たちに「1+1は常に2ではない」と説明をはじめたところで、具体的なケースを説明する前に、こちらが精神論を語っていると勝手な憶測を立てられてしまい、まともに話を聞いてもらえない。話を聞くことによって得するのは話者であるこちら側だとすら思っている。否、当方が立てた仮説について検討・評価は終わっている。その新しい視点を取り入れてさらに己の哲学をより多角的に強い体系にしていくことで得をするのは、わたしではなく話している相手だ。

セマンティックではない表面上の見せかけ議論が世の中で何も産まずに空回りしている。