幻想は、真実であるか。己は、淡い厄災に身を投じてその青き切っ先を毒壺に突き立てて満足してはいないか。躍動する言葉がまた私の瞼の裏に浮かび上がる。この言葉は真。
わたしは、無意識を読む。無意識は神の啓示によって成る。道場のかけらもないひとつのかけがえのない事実に物語を流し込むのがその躍動によるもの。
わたしはここしばらく、孤独感の海に身を浮かせて月光にちりちりと照らされる凪の海に漂っている。空を見上げても商店街の喧騒を眺めてもどこか現実感が希薄であることから、わたしは傷を癒やしている最中である。
向き合うことは崇高だ。そんな人たちはみな、現在という時の断面でそれぞれの道を進んでおり、わたしたちは調和された重力と遠心力で美しい軌道を描きあっている。
なかでもわたしは、わたしの片割れとでもいうべき人との邂逅を待っている。その日が近づいているのか、それとも別のなにか壮大でわくわくするようなストーリーがもうすぐ始まるのか、あるいはその両方なのか、今のわたしには知る由もないが、もうすぐ嬉しいことが起きるということだけは知っているのだ。
深い愛に勝るものなどない。
コメント