悪意の構造

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世の中に悪意があるかというと、それは病である。そして悪意と呼ばれるものには必ず内なる聖域があり、それはイデオロギーや根拠と呼ばれる。そこにエゴがあるかどうかの検証に人は知恵や知能を使うべきであり、根拠を証明するために使われるべきは何であるのかについてよく思い巡らせてみることを推奨する。

この前提に立ち、さまざまな心の段階、魂の段階にある者がイデオロギーやビジョンを主軸にして何かを集約させる。権力、公認、威厳、統率力、金などである。

真実(Truth)は意思の数だけ無限に存在し、事実はひとつの次元にひとつある。解釈というものの不確定性と意思決定性について論議できる者はこの時代において到底少数である。

悪意の存在に意識を向ければ弾劾、裁きに結論してしまう。因果関係を観察するべきであり、未来を夢見るべきなのだ。罪を憎んで人を憎まずの真髄。色即是空、空即是色。

問題の本質をずらすさまざまなトリックを見破る方法は思考による論理構築だけでは不可能。論理と感性、己のすべてをバランス良く使いこなしていくことで、見える世界を拡げていくこと。

さすれば様々な世の中の問題が解決可能であるばかりか、問題ですらなく、意識のベクトルの交通整理による円満解決が容易であることが把握できる。

真理に近づく手法は複雑性の中には存在しない。常に単純なのだ。

その単純さに到達できないのであれば、まだ足りないものがあるというだけだ。あなたの中に。

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