キューブカフェの成長は、
設計者として心嬉しい。
設計とは、使う人のことを想像して心遊ばせることで、過去の経験や知識が頭の中でめちゃめちゃ面白いパズルのように浮かんで、レゴのように組み立てることが至上の喜びとなる活動のことだ。
使う人に喜んでもらえるのが一番のご褒美なのだ。
設計というものは、一度確定した時点でその運命が決まる。初めのビジョンは潜在需要を見据えブレを作らない。ビジョンを準えたコンセプトが生まれ、コンセプトはさらに現実的な形として昇華する。それがグランドデザインから始まる設計だ。
設計に瑕疵があった時、果たしてそれが修正可能なものであるのか、それとも作り直しが必要なのか、その判断の基準は、どこに瑕疵があったかに尽きる。ビジョンやコンセプトに瑕疵があった場合は、その設計は失敗として認めなければならない。なんてことはない、ただ始めから作りなおせば良い。
プロセスに瑕疵があった場合、ここは腕の見せ所だ。修復可能なケースもあるからだ。しかしこれも修復の影響がコンセプトに影響しないよう細心の注意が必要だ。
家に例えたら、壁紙は貼り直せるし、大黒柱もある程度の技術があれば入れ替え可能かもしれないが、間取りプランは修正が難しいということだ。
間取りというものには動線イメージや景観イメージなど様々なものが関係するからだ。
良い設計というものは、コンセプトが全ての工程に響き渡り、ブレない。コンセプトが一発で伝わるからだ。その共感をエンジニアと共有できて心を打つものが、良い設計である。
良い設計は、頑張らなくても自然な流れでコンセプト通りに使われていく。そこに教育やトレーニングやセミナーは要らない。
キューブカフェは、僕の様々な遊び心が詰め込まれ、それがシンプルな形に落とし込まれた個人的には傑作と言えるグランドデザインをもち、それを支える明確なコンセプトとビジョンが程よく練られている。
客観的に評価すれば、失敗しようがないのだ。
設計が完璧に見えても、製造やライフサイクルに瑕疵があると、うまく回らない。目的と違うものが完成する。そしてそれは、世の中に浸透しない。
様々な視点で物事を捉えることは、設計において欠かせないことだ。芸術性は中でもとりわけ重要だ。美しいとは何か、心惹かれるとは何か。
キューブカフェは設計通り、数ある社会的機能のうち2つ目が稼働を始めた。可視化していくことはさらに共感を呼ぶ。そういう設計だからだ。
できないことをできるとは決して言わないが、誰も信じてくれなくても自分が悩み苦しんだ末にできると確信したものを設計しているのだから、できると信じているのだ。
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