守るか攻めるか

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今声がかかってきている企業の案件はすべて、選択すれば守りにつながることがよく認識できた。

僕は根拠もない状況で無条件に攻めることができるほど強い人間ではない。世の中にはそう言う人もいるけど。

自分の中で光が見えるかどうかは大きな根拠になる。説明ができなくてもそれは見える。

弱るとは、どのような状態か?

「自信と不安のせめぎ合いがなぜ起きるのか」と問いを書き換えてみる。

最終的に信じられるのは自分しかいない、と語る人もいる。しかし僕がここで主題にしているのは、根拠も自信もないものに対してどう対処するのかについて突き詰めたい、ということだ。

どこに分岐点があるのか。

どう考えても、根拠なんてない。

感情と意志。その源泉である性質・性格。それを形成した生まれつきのもの、血を受け継いだもの、後天的に学習したもの。

僕は僕自身のことをまったく説明不可能。

つまり世の中のAIの学習を開発者が説明することができないように、僕も僕自身を説明できない。意識下の計算と、意識の彼方にある決断の源泉。

そしてまた危ない橋が危なくないと確信できるまで自分を調整させて、渡り切るのだ。

自分の決断と、自分が何者であるかと言う自己認識は大いに関連性がある。

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