記憶は無くならない

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一般的に、記憶の30%は翌日になると忘れ、1週間も経つと80%は忘れると言われています。多くの人が、3日前に食べたものを思い出せない、とも言われています。

今回は「それほんと?」から切り込んでまいります。

人生には、忘れてしまったことがたくさんあります。

「脳の容量を維持するため」とも言われるが、まったく根拠がない

  • 脳の最大容量は判明していない。これ以上記憶できないところまで使い切った話も聞いたことがないし、証明も不可能。
  • サヴァン症候群のように、一瞬見ただけで映像の詳細を記憶してしまう人や、一度読んだ本を一字一句違いなく忘れられなく、何千冊もの本の中身を記憶している人もいる。
  • LiSAメソードで幼児トレーニングを実施している荒井リサさんの話で、星(★)がたくさん描かれた紙を見せて「これ★が何個あるかすぐにわかりますか?」ほとんどの大人が数えられないが、赤ちゃんはこれを一瞬で数えられるという話。

すっかり忘れてしまっていても、きっかけがあると思い出す

テレビでやってた◯◯っていう有名なラーメン屋さん、おいしそうだから行ってみたいなぁと思って。一緒に行こうよ。

何言ってんの。一緒に行ったじゃん。

え?? 行ってないよ。

ほら、カウンターに変わった招き猫が置いてあって、あなたそれ見て爆笑してたでしょ。

あ、なんか記憶がくすぐられた。いつ頃行ったんだっけ?

もう15年くらい前じゃない? そういえばあの時あなたは「ずっと探してたプラモデル、売ってるの見つけてくれたからお礼にラーメン奢るよ!」ってわたしを連れてったよ。

あー思い出した! 限定版の機動ロボのプラモだ! そっか、あのとき食べたラーメン屋さんね! 味は覚えてないけどw

可もなく不可もなし、だったよね。わたしも招き猫で覚えてた。

感情を動かしたもの、略して感動したものは、覚えている

嬉しかったこと。楽しかったこと。悲しかったこと。腹がたったこと。悔しかったこと。スッキリしたこと。どんなふうにでも、心が動いたものを人は長く記憶します。
感情は、記憶の図書館から目的の本を探し出すための目録のような役割を果たしてくれます。

それでは、感情に訴えかけなかった記憶は、消えて無くなってしまうのでしょうか?
忘れる=失われる、なのでしょうか?

わたしはそうは思いません。記憶は確かにどこかにある。どんなに小さなことでも、それは記憶のどこにしまいこんでしまったか覚えていないだけで、その場所さえ見つければきちんと思い出すのです。

寸劇「雨やどり」の60年後(Special thanks to さだまさし)

そんなことあったっけ、覚えてないよ。

ほら、あのとき雨が降っててさ!

雨ねぇ……(遠い目)

わたしの晴着の裾をあなた踏んづけて、「あこりゃまた失礼」って言ったのよ。

うーん。そんな昔のこと覚えてないって。

信じらんない!あれがきっかけでわたしの両親に会うことになって、初めて家に来たときあなた、靴を脱いだら靴下に穴が空いてて、「やば!」って隠して、でもしっかり見られたのよ。

それも思い出せない。

なんてこと! それであなた、初対面のわたしの両親と話してて突然言ったのよ。「もしも もしも、できることでしたれば、この人をお嫁さんに頂戴ませませ」って……。

おお! 思い出したぞ!! 全部思い出した!! それで君は心神喪失して倒れちゃったんだ。君が目覚めるまでご両親とたくさん話して、結婚の話が進んで、目が覚めた君はそれを聞いてまた倒れちゃったんだ。

余計なことまで覚えていたわね!

まとめ

脳の限界は、自分で無意識に決めてしまっているのです。記憶は体験したことを隅から隅まですべて持っています。思い出すということはカメラのフォーカスを合わせるようなもの。先述のラーメン屋さんの例で、座敷に三毛猫がいたことも、二人は忘れてしまっているだけでそれぞれの記憶にはきちんと残っているのです。

忘れるという漢字は、したごころ(心)になくす(亡)です。心と関係がなさそうに見える「記憶」は実は、心と深い関係があるのでした。

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