夏の一日

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昨日のおうどん、美味しかったなあ。

暗い闇の森に入る曲がりくねった道をね、四輪駆動車のタイヤが転がるジャリジャリした音とヘッドライトが照らす部分しか見えないという頼りない状況で抜けていくとさ、突然お店が現れたんだ。

そこで食べたおうどんは今まで食べたことも想像したこともない味で、とっても感動したよ。

僕はこうした感動を「大量消費」という名前の箱に入れてしまいたくないんだ。

車の中の会話も楽しかった。

即興で替え歌を作ったら、久しぶりに心からの笑顔を見せてくれたから、そんなに面白かったのって思って、嬉しくて仕方なくなっちゃったよ。

仕事の話をするのも聞くのもするのも好き。彼女はいま新しい経験にあふれてて、そんな経験の話を聞くのがとても楽しいし、僕の話をしてもいまは混乱させちゃうだけかなって思うことが多いから、いまは彼女の話を聞くほうが優先なんだ。

毎日、感動することがある。起きている全てののことは、もう二度と同じ経験ができないことばかり。

そんな経験を共にしていることに、幸せを感じるんだ。

おうどんが食べられたのは、ワタナベさんが彼女にお店を教えてくれたから。ワタナベさんも誰かにお店を教えてもらったのかな。それからお店のご主人があんなおうどんを作って人に提供しようっていつか思い立って、お店を作ってくれたから。

ところで、フォーカスしたものは経験できて、フォーカスしていなかったものは存在すらしていなかったように見えるだけで、存在していたのかしていなかったのかは誰にも証明ができない。これをシュレディンガーの猫の「重ね合わせの状態」っていうのだ。

宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を観た。

だって宮崎駿さんの作品だもの。観ないわけにいかないじゃない。世の中は「賛否両論」だとか「よくわからなかった」とか「才能が枯れた」とか好き放題・言いたい放題みたいだけれど、僕は宮崎駿さんが駄作なんて作るわけがないって知ってる。だから表向きは「他人ではなく、自分で作品を評価したいから、観に行こう」なんて言ったけど、観る前から傑作だって知ってた。

色即是空
空即是色

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