荒川でキューブカフェを始めてから2年9ヶ月。
地域で暮らしている方、活動している方、様々な方々との出会いが一杯でした。
最近よく思うことは、地域にとってとか組織にとってではなく、人にとってITとは何なのかについてです。
ITはなくてはならないものだとか、進化し続けていく以外の道はないとか、それはそうだと思います。
しかしそれで個々の「ひと」が納得しているのかというと、全くそんなことない。
現代人にとってITとは何なのか。
そもそもIT(情報技術)とは何なのか。
技術とは何なのか。
何のためにあるのか。
人が営むため?
人が楽をするため?
アイデアと好奇心の無意味な産物?
技術に触れるとき、技術のなかった時代はどうだったんだろうと思いを馳せることがよくあります。
それは不便だったのだろうか?
便利になって逆に失われたものは何か?
その失われたものにフォーカスする人がたくさんいるということは、そこに何かしらの価値があるはずだ。
価値の等価交換。
ほんとうに等価なのか?
価値とはそもそもなんだ?
価値の物差しは万人共通ではない。
よろこびを感じる瞬間。
悲しみに胸を痛める瞬間。
苦しみに耐える瞬間。
どの瞬間にも多様な「価値」がついてくる。
「僕はどうして、キューブカフェをやってるんだろう」
……企業の就職面接だったら、即座に回答できなければ話にならない質問です。
僕はキューブカフェを続ける理由をいくつも持っている。けれどそれらは全て、後付けのものだ。
本当の本当の本当にどうしてやりたいのかは、言葉にできない。言葉にならない。
すくなくとも、わかっていること。
ひとつ。僕はいま、楽しんでやっている。
ふたつ。僕が地域で教えていることは、料金なんてつけてやるような内容だとは思ってないこと。
みっつ。僕が僕をプロであると認めているところで多くの成果を出せば、広げていくことは可能であること。
よっつ。ITを恐れる人は減らしたい。そして、ITで稼ぐ人よりも、ITでワクワクする人を増やしたい。
いつつ。小規模な組織を対等な関係性でたくさん繋いでいく形をとらない/とれない、古い概念のままの組織はもうすぐ全て淘汰されると信じてること。
むっつ。世の中でいちばん困ってるのは「ひと」。
ななつ。あなたから与えられるのではなく、共に与える存在になろう。
キューブカフェでは、様々な夢を多くの方から語り受けました。本気かどうかを見分ける第一ステップは超簡単。稼げなくてもやるかやらないか、です。
そこの敷居を下げるつもりはない。
しかし、来るものは拒まず、去る者は追わず。
キューブカフェは変化し続ける。
来年からのキューブカフェは、また新たな展開を見せる。
その価値観と戦略に少しでも共感を覚える人は、遠慮はいらない。
何でも持ってけ。
そう思ってやってます。
(Facebookへの投稿の転載)
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