孝行ってなんだ

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親孝行なんて思ったことは一度もない。

友達でも家族でも他人でも、判断基準はひとつ。

単純に、会いたいか・会いたくないか。

楽しみか・楽しみじゃないか。

それだけ。

みんなもそうだよね?


「会いたくないけど、親孝行と思って我慢するか」とか、

「行きたくないけど、お金稼がなきゃいけないから会社(学校)に行くか」とか、

僕それ無理だったし、これからも無理だし。

「◯◯したくない」は、英語で「do not want to do ◯◯」

wantがないってこと。

逆に「◯◯したい」は、「want to do ◯◯」です。

「◯◯がほしい」は、「want ◯◯」です。

wantって大事だと思うんです。

当たり前だって思いますよね。そうなんです。でもね。

wantのままに行動しないと、それって自分に嘘ついてることになるって思いませんか?

「本当は◯◯したいのに、何らかの理由でそれをしない」というのは、

「本当は【①願望】したいのに、【②理由】によって【③行動】をする」ということです。

上記の【①願望】と【③行動】が伴わない場合、【②理由】こそが、願望通りに行動しない、自分で作った言い訳なんです。

なぜ①と③が一致しないのか?

本当は①なんてしたくないのに、そうしたいと思いこんでいる?

それとも、我慢してる?

どうしてなのか自分で理解するためには、②の理由が大事です。

わかりきったこと書いてますが、

本当にわかってますかって話なんです。

自分に嘘をついたら、ストレス貯まるし、

そのうち死んじゃいますよ。


たとえば親孝行。

親孝行だと思って親に何かしたらそれは、

「何かしてあげた」(多少なり、我慢して)

ってことになりますよね。

それって、本当に喜んでもらえるんですかね。

親孝行という言葉は分解すると「親のことを考えた行動」ですかね。

僕ね、この言葉、自分で使うのは違うと思う。

僕には子供がいないけど、例えば僕が誰かに何かをしてもらったときにね、その相手に「ありがとう」って伝えて、相手から「いや、先日のお礼なんで」って言われたら、ああこの人は礼節を弁えているんだなあとか思いますし嬉しいですけど、たぶんもっと嬉しい言葉は「あなたのこと好きだから」とか「あなたは大切な人だから」とか「心からそうしたいって思ったから」とかですね。

人として愛されていること。

もちろん親孝行や恩返しというものは、愛情あってこそだと思います。

でも、そうじゃない場合もたくさんありますね。世間体を保つためにやることもあるだろうし、自分を善者にする(悪者にしない)ためにやることもあるだろうってことです。

いま、動機の話をしています。

僕はいつでも、動機は純粋でありたいと思って生きてきました。

自分に嘘はつきたくない。

でも、だからこそ、忖度なしで自分が心からそうしたいと思える行動をして、それが誰かに喜んでもらえたときって、嬉しい。

でもその嬉しさを目標にしたら、人として終わりだと思うんです。

僕の家族は、こんなこと、話さなくたってわかってる。

僕の友人たちも、わかってる。

なぜなら、それがわからない人とは家族でいられないし、

それがわからない人とは友達にならないから。

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