我慢と忍耐

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ここしばらく、もうすぐ死ぬんじゃないかってくらい、体調不良が続いてた。

これに対して思うこと。僕の中にいるたくさんの僕が議論してる。

「なんだかんだ毎年寒くなると内面的になって考えすぎたりするから、いつものことでしょ」

「そう、僕はすぐに弱音を吐くからな」

「確かに僕はすぐに弱音を吐くけど、弱音を吐きながらも続ける」

「自分の心の弱さを恥じるのも程々にした方がいいぞ。そうやって耐えた挙句に5年前に心筋梗塞起こしたんだろ」

「だからって自分の苦しみを人のせいにはしたくない」

「そりゃそうだ。すべて自分の行動の結果だから受け止めるしかない」

「原因を外に求めるのは間違っているのか?」

「そうだ。全ては自分の選択の結果だ」

「それは認めるよ。しかしもうやってらんないわ、何もかも投げ出してしまいたい」

「毎年そんなこと言ってるよな」

「じゃあなんだ、会社員辞めたことを後悔してるって言うのか?」

「会社は僕のスキルを高く買ってくれていた」

「でも利用されてポイ捨てだろ?」

「……」

「まあまあ、過去のことを言っても仕方がない。今は今できること以外を考えても仕方がない」

「今までの計画性が妥当だったと言えるのか?いつになったら実現するんだ?」

……とまあ、こんな感じ。

資金繰りに関する懸念は、やるべきことが多くある。

自転車操業を続けるわけにはいかない。マイルストーンは立っていても、より短期の計画が甘い。

より強い経営スタイルに切り替える必要がある。

……あれ。

だめだ。これじゃダメだ。

これは僕がやりたかったことではない。

もっと根本から見直さないといけない。

ワクワクしてない。

スピード感が足りなさすぎる。

なんで世の中の人たちはこんなにのんびりしてるんだろうか。

いやそれは、自分の周りの全ての人ではない。

疲れ果ててスローダウンしたい人と、幾つになってもスピードアップし続ける人がいる。

後者の方が数としては圧倒的に少ないのだけれど。

環境を見直す必要がある。


我慢は出来たことがない。

我慢強い人間は果実を得るが、その果実のために我慢が必要だったと言う事実を甘く捉えているようにしか見えない。我慢のツケは必ず来る。それは病気だったり後悔だったり。そうならないためには、「その目標、本当に目標ですか?」と言う問いに答えられるかどうかが大事だ。

目標と欲望を履き違えてはいませんかってことだ。

我慢は出来ないけど忍耐はできる。

しかしそれも、自分の命の方が優先だ。

いや、本当にそうか?

そこが思い違いではないか?

だって、僕は心筋梗塞を起こしてからは特に意識的に、今の人生をおまけだと感じるようになってる。

死にたくないなんて嘘だろ?

ほんとはいつ死んでも後悔はない。

そして本物の果実は、過去の自分を乗り越えるというとてつもない偉業(少なくとも僕にとってはそうだ)を達成した暁に得られる。

そうして僕はいつも達成したいことを達成してきた。

欲望の叶え方も知っているが、悪魔との契約がどれほど恐ろしいことかも知ってる。だからそれはやらない。

本物の果実は、シンプルになるために自分が抱えている煩悩を捨てる覚悟をして、命の存続なんて大した問題ではないほどまでに真剣に打ち込んで、結果や成果と呼ばれるものに対する執着をなくし、もはや結果のためではない、自分の筋を通すためというところまで命を燃やし続け、さらにそこで諦めの境地に至った時に、その燃え果てた白い灰の中から突如として蘇る不死鳥のように現れる。

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