狼少年とサイキックアタック

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Psychic attackを心理的に受け止めてしまうと現れる症状のうちよくあるのは眠気、倦怠感、鬱症状だが、心理的に対処ができている場合は肉体に現れることがある。関節痛、吹出物、麻疹、痒み、身に覚えのない引っかき傷など。

サイキックアタックへの対処法にはさまざまなものがあるが、ここではその対処法(対症療法)に言及するのではなく、もうひとつ上のレイヤーの話をする。それは、サイキックアタックそのものが自己に完結するという話である。

結論から述べると、サイキックアタックを忌むべきものとして捉えてしまうのはなぜか。

無意識化でつながるわたしたちの魂の根源から照らしてみると、サイキックアタックそのものが自己に対する入念に計画された試練だということがわかる。この試練とは文字通り試練であり、己の肉体、知性、精神のすべてを限界まで駆使してはじめて乗り越えることが可能な課題である。

自己完結した状態にあれば、サイキック「アタック」というあたかも攻撃者が存在することで成立するような捉え方そのものが無意味であることがわかる。問題の根源は攻撃者ではなく己の内面にある。

当然アタックを受ければ限界状態への坂道を登ることは避けられず、避けようとすればするほど、真綿を締めるように状況はじわじわと悪化していく。その過程において己に対して嘘をつくことで、問題に正対して解決せずに迂回することでなんとかしようとする回路が発現し強化されていく。これは正しく使われるべきニューロンの回路や魂の経路を弱体化させる要因となる。

己に嘘をつくことに慣れてしまうと、己の肉体・精神・魂の間で不信の不調和が生じ、それはまるで狼少年の小話のように互いを牽制しあって不調の波動を呼び込む。

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