Birth

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今日は正樹の助産師さん、いなば助産院で映画上映会でした。

正樹の自宅出産に立ち会ってからというもの、自然分娩に対する興味がグッと増しています。また、出産という高貴で摩訶不思議で感動的で人生いちばんのイベント(何せ出産がなければ誰も生まれてこられないのですから)をプロフェッショナルにサポートする助産師という仕事をする方々の魅力にすっかりどハマりしてしまっております。

正樹の出産を助けてくださったのは稲葉さん、斉藤さん、小長井さんという静岡市内で助産師を営んでおられる3人の頼もしい方々。

出産の経験は、実際に産んだわけでもない父親の僕ですら、言葉では説明しきれない体験をしました。

今日観た映画のタイトルは「オーガズミック・バース(Orgasmic Birth)」というドキュメンタリー映画です。内容は腑に落ちて、正樹の出産時に自分が体験した内容についても新しい洞察を得ることができました。

人間にとって「痛み」とは何なのでしょうか? これは男性である僕にとってもよく思いを馳せることがあるテーマです。記憶にある限りいままでの人生で最大に痛かった経験は、心筋梗塞です。その痛みは死と隣り合わせになるほどのものでしたが、九死に一生を得、その経験によって自分の限界を突破した実感があります。

妻は僕の背中に妻がしがみついて出産しました。あのときの経験は思い返してみればみるほど不思議なものでした。妻と僕は呼吸のみならず、さまざまな間隔が同期しているようでした。あの経験がなかったら僕の子どもたちに対する思いは今と違っていたのだろうな、と思います。

このドキュメンタリー映画は主にアメリカを舞台に話が進みますが、日本の状況もとてもよく似ています。「どこで出産するか」の選択によって、出産の経験は大きく異なってくるのです。

わたしたちの多くは科学や医療の発達の恩恵を大きく受けている、と信じていますが、科学技術のひとつである情報技術を生業とする僕は、果たして本当にそうだろうかと疑問を持ちながら仕事をしてきました。出産についても似たようなことが言えると思います。歴史上長い間、ヒトは自宅で家族や近所の人たちに見守られながら出産をしてきました。それが今や、病院に入院して医療機器や薬剤の世話になって出産することが当たり前の常識になりつつあります。「自宅で出産するなんて怖い」と感じる人は少なくないようです。助産師さんたちですら、病院勤務していたときにこの映画を見ていたら完全否定していただろうというお話をされていました。

教育のあり方についても考えさせられます。わたしたちは教科書や指導者の教えを過信してはいないでしょうか。事実としては、経験しなければ何もわからないことを頭の知識として身につけたつもりでいるのはかなりリスクの高いやり方だということを、僕は個人的な人生経験から学んでいます。

神秘的なこと、心理的なこと、精神的なこと、魂的なことが軽視されがちな世の中ですが、人間は本来「存在」としての価値の源泉として魂があり、心があります。そこが人間性の根幹であるということをつい忘れてしまったり、無視できてしまう現代社会の浅薄さに空恐ろしさを覚えます。

個々の人間をより大切にしていく社会が発達しているようで、その真逆がたくさん起きている。こんなことはいつの世にもあったと考えるほうが妥当です。大事なのは自分が選択したい選択をすること。そこには勇気なんて本当はいらないはずなのです。常識にさえ縛られていなければ、自由に選択し、選択したことを正解にしていく。それができるくらいには、この世界は奥深いと思います。