Where there’s will, there’s a way

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今日のタイトルは、ずっと前に一緒に働いていた友人からもらった言葉です。
この言葉を、僕は今まで何度も繰り返してきました。迷ったとき、行き詰まったとき。
英語の諺で「意志あるところに道あり」という意味です。
英語のことわざ - ジャパンタイムズ[週刊STオンライン]より:

If you want something so much that you will do anything to get it, you will get it. If you want to do something so much that you will do anything to do it, you will be able to do it. “Will” means determination, and so this proverb means: if you have the determination, you can do anything you want.

決心することが大事である。決心したとき、進むべき道は見つかるということですね。
Willという単語には、ここにある “determination”(決心)という意味での「行動を選択する意志」のほかに、「心身よ抑制する意志力」や「望み」、「希望」という意味もあります。
うつ病の治療に重要なこととして、うつ病のパンフレットや専門のサイトのどこを見ても書いてあること。それは、「重要な決断は後回しにする」です。精神的に後ろ向きな状態で重要な決断をしてしまうと後悔することになりかねないからだというのがその理由だそうです。
この場合は、後回しにすると決断することが大事なのでしょうか。
考えてみれば僕は、目先のことに踊らされていて、「根治するまで病気と向き合う」ことも「どんなに辛くても仕事に徹する」ことも決心していないわけです。もうひとつの治療方針、「十分に休むことが大切」という言葉のもと、どちらにも進まずうろうろしているのです。
多分きっと、決心したときに道は開けるのです。僕が友人からこの言葉を頂いたとき、僕はとある人生の分岐点に直面していました。その友人から贈られた言葉によって、僕は決心することができ、自分の進むべき道を見出して、うまく乗り越えてくることができました。
いまの僕には、決心や決断という言葉がとても遠くに感じられます。
決心と決断って意味違いますか?どう違うのかよくわかりませんが、同じように思えます。
あえて違いをイメージすると、決心はひとり静かに心を決める、方向を定めて照準を合わせるような感じで、決断というのは、もっと具体的な行動を決定したり、抑制したり、推進するような感じがします。そして、決断には、他人の意見を挟む余地がもうない段階であるという印象もあります。
しかし、うつ病だからという理由で決心し、それを決断することはよくないことなのでしょうか。
僕は今まさに、道を見失っているのです。そもそも今までも、あまり人が好んで入らない薮を切り開いたような道を進みながら、道が途切れていれば無茶に切り開くような進み方をしてきたような人生です。そして僕は大通りのど真ん中ではなく、ちょっと鬱蒼とした薮の中で、立ち往生しています。
誰もがそうであるように、最後に頼れるものは自分だけです。
そんなとき、決心せずに後回しにすることで、病気が治るのでしょうか。道が開けるのでしょうか。
それとも、病気である限り道を開くことができないという前提のようなものがあるのでしょうか。
たしかに、病気であると進める道は限られると思います。しかしそれは病気であるが故ではなく、病気である人が誤った決断をしないようにという周囲の配慮なわけです。(本人にとって何が誤った決断かは、本人にしか分からないのではないかという矛盾がありますが)
しかし、立ち往生して前に進むことができずに、前に進むことを止めてしまった人たちが、たくさんいるのです。僕はいまそうなるわけにはいかない。決断しなければならない。そしてそれは、生きるためでなければならない。
いまから僕は、僕がいますぐに自殺してしまわないために自己に展開している理論をここに記します。
なぜ生きるための決断でなければならないか。なぜなら、生きることそれ自体が、結局死ぬためにあるからです。誰もがいつかは死にます。全ての生は、死という名の一つの帰着に向かって、進んでいいます。言葉通り、刻一刻と。我々の意志とは関係なく、ひとりの例外もなく。
そうすると、僕たちは何のために生きているのか、という疑問が湧きます。
そして、なぜ死という誰もに平等なゴールが存在するのか、と、死に興味を持ちます。
いろんな話がありますが、死んだことが無い以上、その先に何かがあるのかないのかも知らないし、そこはあまり今の僕にとって重要ではないような気がします。
ただ確かなことは、僕はここに生きていて、死は、間違いなく僕の人生のどこかに、あるんですね。
他人様に人生観を説教するようなつもりはまったくありませんが。
生死について、考え方は色々あると思います。同じ思いを共有することが難しいものですよね。それでいいと思います。
僕にとって生きるということは、満足のいく死に様を求めて決心して道を切り開いて行くことです。
満足のいく死に様とは何でしょうか。
それは、生きている証拠を求めることでは決してありません。
そんなに格好良いことを言っている余裕って、実は全然ないのです。
ただ生きているだけのつもりでも、様々な問題に直面し、人は悩みますけど、僕はそれこそが人生であると思います。
そして僕は、僕なりに納得できるだけ悩んで悩み抜いて、その結果がどうであれ、自分で決心するときだと思ったときに決心して、決断し、行動して、結果を受け止めたい。
そして行動するということについては、僕の経験や知識や物理的制約や援助や応援すべてを受け止めて、その中で最大限の力を出し切りたい。エネルギーを完全燃焼させたいのです。
「ろうそくのように燃えるお前の命、ろうそくが切れたときがお前の死だとしたら、おまえはそれを減らないよう減らないよう、後生大事に細々と燃やし続けるか。いつ吹き消されてしまうかわからない小さな炎を守り続けて、長生きしたいか。
勢い良く燃やしてみろ。これ以上できないというくらい盛大に燃やしてみろ。それでも、結婚燃え尽きないもんだ。人生そんなもんだ」
これが僕の人生の根底に流れている言葉であることに相違ありません。これも、ずっとずっと昔、ある人に言われた台詞です。正直、僕のハートにガツンときました。
そして、自分が完全燃焼していないなと感じるときに、強い自己不満が原因のストレスがたまることもわかっています。
Where there\'s no will, there\'s no way. にはなりたくない。
僕は最近「縁」という言葉を想うようになりました。
必死にすべてをつかみとろうとする自分がいました。しかし、手からこぼれていくものは、縁がなかったのだと思うことができるようになりました。
出会いや別れについても同様です。
逆に、出会いの縁もたくさんあると思います。縁という言葉が特定の宗教的なものに聞こえてしまったらそれはちょっと違うので書いておくと、僕はどの宗教にも属していません。
シンクロニシティなんかも見えない糸のような縁によって起きているのではないかと僕は思っています。
なにも決断していない僕が、縁を逃しているのであれば、それはそれで縁がなかったということ。
人は、決断できないのは僕のせいではない、病気のせいだといいます。
はい、言葉としては頭では理解できてます。でもね、病気の僕も僕なんだから、病気だって僕の一部ってことだよね。そしたら、何がどう僕のせいじゃないなんて言えるの?
病気になったのは僕のせいです。自分のせいにしたくなるのは性格だとか病気のせいだとか言うのはもうやめてほしいと思う。
本当にそう思うのであれば、病気が治ったと「医者の診断書」つきで証明されたときに、すっかり元に戻れる(仕事も生活も)はずだったわけで、実際にはそうはなっていない。
うつ病は今も僕の中にいます。それは、よくわかっている。
そして、こういう不安定な要素と人に言われてしまう部分も含めて僕そのものだし、そういった自分が社会適応できているとかできていないとかそういったひとつのpoint of viewで他人を見るのはやめたほうがいいなじゃないの?ということです。
僕から不安定な要素をなくしたら、多分これは僕の予測なんですが、僕は今よりもずっと好奇心のない人間になります。そして、たぶんピアノも弾けなくなるし、絵を描きたいとも思わなくなる。
想像力。それは、コントロールしやすくて素敵なものではないのです。
想像力。これをなくしてしまうことは、万死に値すると思いませんか。
僕に言わせれば、生きながら死んでしまっている人がたくさんいる。そんな人たちに対しても、学ぶところがあると思えば素直に学びたいと思っている。
生きながら死んでしまっている人が生きて、完全燃焼して生きている人が足を止めて悩み、死んで行く人がいる。これって、どうにかしたいですよ。
僕は、うつ病だけど、決断しなければならない。いくつかの大切なことを。
そして、先延ばしにすることも誰かに決めてもらうのではなく、必要だと思ったら自分で決断して先延ばしにしたい。
今日のBGM:
The Longest Time from the album “The Ultimate Collection” by Billy Joel
Left To My Own Devices from the album “Introspective” by Pet Shop Boys
been so long from the album “DDR 2nd MIX CLUB Ver.2 CD-ROM” by m-flo
Preludes Op.28, No.12 In G Sharp Minor, Presto from the album “Chopin: The Piano Works” by Giacometti, Paolo
Stay from the album “Reality Bites” by Lisa Loeb & Nine Stories

コメント

  1. toshikun より:

    冒頭の諺を見て、ふと、「念ずれば花開かむ」という言葉を思い出しました。諺と比べてみると少し消極的にも思えるのですが、僕はこの言葉を最近実感することが多くなりました。
    人間の持つ願いは、その深層にある「思い・想い」の表出したものであるとすれば、僕らが心のどこかで思っていることをあきらめずに持ち続けていれば、それはいつかどこかで実現する可能性を持っているんじゃないか。そんなことを考えています。
    うずらさんの状況を僕はなんともできる立場にはありませんが、少なくとも早く元気になってほしいと願い続けている一人です。

    ごめんなさい。何を書きたいのかよくわからなくなっちゃいました。でも書かずにはいられませんでした。
    では、またお会いしましょう。