進化について。
昔から繰り返し作業が嫌いだった。ルーチンワークという言葉は僕の辞書にはない。同じことを目的に何度もチャレンジすることならある。小さなことから大きなことまで全て、僕は人生からルーチンワーク、繰り返し作業というものを捨てているし、拾わない。
日常の細かいことから、すべての行動には改善の余地や新たなる発見がある。手の込んだ料理からカップラーメン作りに至るまで、それはある。
つまり物事をやるときは、それが単発なのか繰り返しなのかを問わず、常にベストだと思える選択を見つけるための試行である。
人は目的を達成するために行動する。目的達成のための手段は無限にあり、知っている手法だけに留まる理由は、達成への過度な執着である。「この方法ならうまくいく」と約束された手順は存在しないのにもかかわらず、「多くの人がうまくいってる」「過去にこれでうまくやってきた」といったノウハウに頼ってしまう。もっと素晴らしい手法にチャレンジすれば、当然失敗もある。だが失敗したら、その手法の欠点がわかる。それが誰も試したことのない手法ならば、あなただけの財産となる。
前回と違うやり方でやるためには、やり方を考え出す発想力が問われる。
発想力を磨くためには、常に目の前で起きていることを観察する力が求められる。ただ見る事と観察する事は違うのだ。
失敗という言葉もない。単に試行の1つがうまくいかなかっただけのことだ。そこでやめたら失敗か? いや、生きている限り必ずあなたは何かをする。それがその時点では過去の失敗を生かした行動のように見えるかもしれないが、そうではないかもしれない。生きてるだけで丸儲けとは、そういうことではないか。また試行が出来るのだから。
これを繰り返しながら自分だけのやり方で結果を出す道筋を作っていく。そしてその過程に終わりはない。それが、進化というものだと思う。
ルーチンワーク嫌いは今に始まったことではない。物心がついた頃からずっとだ。
ルーチンワークなんてみんな嫌いだろ?って思ってた。小学校の頃は周りの人たちはみんなルーチンワーク嫌いだった。
大人になるにつれて、ひとつのルーチンに固執してしまう人が増えていく。
失敗が怖い、あるいは無駄だと思っている人が増えるのだ。良くしていくことに命を捧げられなくなるのだ。
プラモデル好きの少年が、少しでもうまくプラモデルを作れるようになりたいと思いながらいくつものプラモデルを作っていくとき、同じ繰り返しをしていたら上達しないのは明白だろうし、上達するために試行錯誤したり情報を集めたりするのは自然なことだ。
人は飽きる。どんなことでも飽きる。そんなときは、好奇心に任せて別のことでも何でもやりたいことにチャレンジしてみたらいい。
どこかで点と点がつながるのだ。
世の中には「進化しなくて良い。決められた手順通りにやってくれ」という仕事が未だに数多くある。改善することを否定される。
それはなぜ起きるのか。「生産性」という言葉が出てきたら気をつけた方が良い。生産性というものは、自動工場のような人らしくないことに当てはめられる言葉だが、過去にやってきた職業の中で幾度となく聞いてきた、まことしやかな魔法のキーワードだ。納得させられてしまう。
プラモデル作るのに生産性もクソもあるか。
仕事は別ですか? その仕事に愛情がないのでは?
お金のために我慢してますか?
進化をやめた生き方に未来はない。特に現代、AIやロボティクスの技術が勢いよく発達しているなか、機械ですら進化する時代だ。
人としての価値を問われている。ルーチンによって心を停滞させている場合ではない。
自分の価値を自ら貶めて、その先にどんな成功を夢見ているというのか。
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