カフェにて

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執着心(Obsession)を捨てる旅の最後にあると信じていた「生への執着」はまだ最期の試練ではなかった。この揺らぎもまた他の凡ゆる事象と相似に、表と裏があり、底知れぬフラクタルの無限が潜んでいる。

わたしが生への執着を捨てたとき、次に現れたのは死への執着である。そこでそれまでとは逆向きの恐怖心に一瞬だけ駆られた。それは死を覚悟することと自暴自棄になることの違いを体現した。わたしは全てに満足したが死を待つことは即ち生きることそのものの苦痛と死への渇望と生体的な自死への恐怖との闘争となる。

ここで中庸がどれだけバランスの取れた状態であるかを思い知らされる。生を願うことは同時に苦しみを背負うことになるのと同様に、死を願うことも押し寄せるときの流れを生きる自らの存在の意義を真っ向から否定することになってしまうからだ。

荏原税務署に法人設立関係の書類を提出しに行きがてら散歩をした。秋空は突き抜けて高く青く、鰯雲と青空と涼風が街行く人々の営みをスローモーションに見せた。わたしはその瞬間、感極まって人知れず嗚咽を漏らした。

わたしはいま、ここに生きている。そしていま成さんとしていることが、培ってきた純粋性の美しい結晶であることを確信した。これまでの人生で何度も闇に落ちる機会はあったが、わたしは闇の際にある崖に立ち、限界まで闇を覗きながら決して堕ちることはできなかった。その苦しみは人生だった。そして立ち向かうためには多大な勇気とエネルギーを要求された。わたしはわたしの命をこの闇に塗れた流れに逆らうことに使うことを覚悟した。それから今まで、わたしは流れが見えるようになった。流れを見るために必要なのは純粋性なのだ。

わたしがいま命の幹を削りながら行っていることは欲望のためではない。世の中に無限に広がる命と命の関わり合いを想起して、そこに何か明るい光が差し込むための窓のようなものを作っている。それを想像するとき、わたしの奥底から理由なき肯定感が力強く込み上げてきて、わたしは幸せのあまり涙が出る。だからわたしは外に出るときサングラスをしていることが多い。

この道の先には何があるのだろうか。わたしは役割を終えたとき自然に命が尽きると信じている。その時期が近いのか遠いのか憶測することはやめておく。それこそ生と死の中庸に立てなくなるからだ。

わたしの奥底から伝わるメッセージは、これで全てよしなのだ。わたし自身にとっても、わたしが幸せにしたいと思っている世界中のものたちにも、すべてよしなのだ。それは確信であり、過程はわからないが確信だけは覆すことができない全ての集大成ともいえる感覚なのだ。

撒いた種がどれほどのものなのか想像もつかない。わたしはもしかしたら、頂上までたどり着く前にわたしの役割を終えて、意志を継ぐものにバトンを渡して死ぬのかもしれない。心臓発作は一度起こしたが、わたしの体調は諸処鑑みて評価してみると必要十分であり万全である。贅をよしとせず、豊穣は他者と分かち合い、誰も登ったことのない山を登る喜びを感じ、笑顔のまま最期の評定を迎える覚悟をするのだ。

制約は進歩の種であると改めて思う。わたしは体力的な制約を手にしたおかげで、わたしの頭を使うことを余儀なくされた。それはわたしが若い頃から幾人にも言われ続けてきた言葉、『頭でっかち』『頭が良くても行動しなきゃ無意味』に対する自分なりの結果を十分に出してきたから、そろそろ頭もフル回転させてあげようや、ということなのだ。

頭が良いことのコンプレックスを理解されることは少ない。何故なら世の中の多くの人は頭の悪さをコンプレックスにしているからだ。そのコンプレックスこそが頭の回らない原因なのだが。Complexという単語の意味を辞書に引いて見れば分かることだ。複雑性なのだ。込み入った処理によってリソースが消費されているのだ。自分のことをそこそこ頭が良いと思っている人でも向上しようと努力している時点で理想よりも自らを低い位置に認識していることがわかる。

わたしは税務署で優しい対応を受けた。これからわたしの立ち上げた会社が社会に価値あるものを提供して、経済活動の一つとなり、利潤からたくさん納税して、その税金によってさらに世の中が生きやすくなることを願う。

税金の無駄遣いなど負の側面の報道はあれど、日本は1億を超える人口を中央集権でなんとかやろうとする社会モデルを限界まで高めていると思う。わたしは長期的視点でものを見ている。目先にある腐敗や汚職などは、いつの時代でも避けられぬこと。そこにフォーカスしていては同じ土俵でしか物を考えられなくなるだけなのだ。わたしは自分の培ってきたものを世の中に還元することで1人でも多くの人に笑顔を与えたいと思うし、その結果得たお金は、わたしが直接関わることができないものを良くするために託したい。その直接的かつ簡易的な手段は納税だ。わたしは納税するのが楽しみだ。わたしに持たせるよりよっぽど有効に使ってもらえると思っている。

そして企業として得た利益はわたしのものではなく法人のものとなる。この法人から数多くの人を笑顔にする製品やサービスを提供し、さらには将来、より大きな社会問題に効果的なソリューションを提供できるだけの資金的・技術的基盤をもち、より大きなアクションを実現するのだ。財団を作ることも視野に入れている。

そして、自分がやったことを人に伝え、誰にでもやるつもりがあればできるということを証明したい。

必要なのはお金でも頭の良さでも知識でも勇気でもない。人を愛する感性と、大きく考える自由さ。このふたつは、人を幸せにする。

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