いろんなギョーカイにいろんな問題があるけどさ、
ほんとに深い深い闇がたくさんある。
世の中のとんでもない不公平さを目の当たりにして、その世界に長くいる人たちは、その不公平さによって多数の人生が台無しになることに心が傷まないのでしょうかね。麻痺してしまっているの? それとももう、諦めてる?
就労移行支援・就労継続支援・就労定着支援における問題点なんてさ、先日書いたSESの問題よりも個人的には優先度高いんだよね。
こっちも今、少しずつ動き出してるからな。
まだ誰も実現したことがない解決策を。
語らずに、実現してから皆さんに見せよう。
既存の仕組みに喧嘩は売らない。
ただ、当事者たちにとって、新しい選択肢を可視化してあげること。それが具体的に可能であると証明して見せること。
これは、日本の就労問題解決の、Proof-of-Conceptだ。
実際機能することが証明されたら、僕が広げる必要なんてない。
今まさに同じ問題で憤ったり困ったりしている人たちが、黙ってても真似するからね。
価値が証明されたアイデアっていうのは、そういうもんだ。
社会問題の解決案の提示や実行で金を儲けるつもりはない。
僕の趣味ってことにしておいてもらってOK。
世の中の企業ってのも、同じように課題をたくさん抱えていらっしゃる。僕はそっちの解決で生活はまかなえるし。
お金なんて手元にまったく無くても困らない。
必要な分だけちゃんと手に入るようにできているのだから。
課題を解決するというのは、絵に書いた餅であったり、実際誰かが不公平に得をするような形では成り立たない。
ビジネスでは当然のことでっしゃろ。
社会活動とか、地域活動とか、ボランティアとか、そういう名前がついてしまったり、スキルをつけて収入を上げようとか、事業融資や投資を受ける目的で本末転倒な起業や事業立ち上げをするなど、お金目当てを煽るようなことをしてしまったりすると、人はなぜか目が曇る。
営利だろうが非営利だろうが、事業が社会に必要とされていることは大前提で、それが続かないなら必要とされていない可能性について、きちんと考えたほうがいいと思うんだよ。
金がないと何もできないなんてことはないんだよ。
スモールスタートでいいじゃん。
金がないとできないって思った瞬間に、自分のアイデアが足りてないって思い知る必要があるんだと思うよ。
必ず解決策はあるんだから、真剣に考え抜くとか、プライドを捨てて人様の意見を素直に乞うとか、それで助言など助け舟を出してくれた人に対して謙虚でいるかどうか、とか。
営利でも非営利でも、継続しなかったら意味ないでしょ。
SDGsなんて今どきの話の前にまず、どんな価値をどのように創生して、それをどうインプリメンテーションするのか、まじめに考えてみようぜ?
理想だけじゃ走れないんだよ。どんな活動でも、経営の基本があり、そして応用がある。
経営者っていうのは、お金を回せる人のことではない。
お金「だけ」を知ってる人は、経営者とは認めない。
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