未来

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戦後の日本から、現代に必要なものを抽出していく。

日本が世界に幅を利かせるほどに発展した時代をつくったのは、大正から昭和初期に生まれた人たち。あの時代に働き盛りだった方々は、すでに死んでいるか、後期高齢者としてわずかに残っている。

彼らの言葉を聞くことがどれだけの価値であるのか、考えてみたことはあるだろうか。

僕の祖母は大正14年生まれでまだ健在だ。幼い頃は共に暮らし、人として大切なことをたくさん、厳しい愛情で教えてもらってきた。僕はおばあちゃんが大好きだ。

祖母が生きている間に何か結果を見せたい。

もしかしたら無理なのかもしれないが、僕は諦めてない。

3年前には危うく祖母よりも先に僕が死ぬところだった。

実力主義、成果主義。成功も失敗も自己責任。生き抜くことに手を抜かない。そんなギリギリの中でも、世のため人のためになることを諦めない。そんなことは、人としての心があれば当然のことだ。

戦後の焼け野原から現代の日本を作り出せると信じてた人は、当時一体どれくらいいただろうか、

そんなこと考える余裕なんて多くの人にはなかったのだろうと思う。でも大事だったのはやはり、今この瞬間をどう生きるか、の繰り返しだったのではないか。その永遠とも思える繰り返しの果てに、今の日本の繁栄がある。

自分に甘えない、なんて、当たり前の世界だったのだろう。

みんな一所懸命だったのだろう。

祖母や、年配の友人たちと話していると、そんな過去の日本が垣間見えてくる。

僕は、彼らの作った日本をこのまま堕落させ続けたくないのだ。

身ひとつで、なんでもやれるって。

できない理由なんて考えてる時間ない。

やるか、やらないかだ。

祖母をはじめ、志持って日本を生き抜いてきた方々は、心優しい。

だから、本音を聞くには、深く理解しあうために、向き合う時間も必要だ。

だらしのない現役世代に苦言を与えても、年寄りの言うことだと馬鹿にする。

それじゃうまくいかない。

温故知新だ。

老人が時代遅れだなんて言う前に、相手が伝えたいことの本質を自分が本当に理解しているかどうか、自分を疑ってみることくらい、しても損はない。浅い経験しかない僕たちにはまだ知らないことがたくさんあるのだ。

ぼくは、祖母に言われたことは全部覚えてる。

それが愛情からくる言葉だって知ってるから。

荒川で知り合った、たくさんの高齢者の方々は、血縁でもない僕に耳を傾けてくれる。そして本音を、勇気を出して語ってくれる。

なぜ語ってくれるのか僕にはわかる。

僕が正真正銘の大真面目で、命を懸けて世の中を変えようとしていることが伝わっているからだ。

僕の曽祖父は帝国陸軍の騎兵旅団の旅団長だった、高波中将だ。日本の未来を想い、そのために命をかけてきた。

僕の大叔父はポツダム宣言の直前にロシアが日本に宣戦布告することを事前に察知して大本営に報告し、ノモンハンの調停に行った、白木課長だ。

僕の祖父はニューギニアに行って、200人の仲間を失って帰ってきた4人のうちのひとりだ。身長が172あって、体重47キロになって帰ってきた、南海支隊の林憲男中隊長だ。

僕には間違いなく、彼らの血が流れている。

世界中の人と人が尊重し合いながら、殺し合うことなく発展していける世界はどうしたら実現出来るのか、ずっとそれを課題にして生きている。

それが僕が普段見せない、もう一つの顔だ。

僕の行動全てがそれに反していないことは、僕を知っている方ならわかってもらえると思う。

日本だけ得すればいいわけでもない。

とても遠い目標だけど、目の前にあることひとつひとつをやるだけだ。それが僕に与えられた使命だ。

そうすればいつか、戦後の日本を復興させてきた皆さんのように、ゴールが見えてなくても成果はついてくる。そう信じている。

成果は、お金では測れないものだ。

経済的成長はもう陳腐化しはじめている。資本的価値の維持の矛盾があちこちに噴出しはじめている。

数字では測れないものを価値とする時代が、目に見えるレベルにまで広がってきている。

ホラクラシー。新しい地域社会。言葉で語るより、まず自分で知るじるものを突き詰めて、それを、やる。行動する。結果を受け止め、次の糧にする。

世の中は待ってはくれない。

僕の祖母だって、あと何年生きてくれているか、わからない。

日本という巨大戦艦は、すでに浸水して傾いてる。

こんなものを次世代に残すわけにはいかない。

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