2003年4月中盤
人生の分岐点というものは、突如やってくる。
――予告付きの分岐点なんて、分岐点と呼べるかどうか、それは置いといて――
「分岐点」なんて言葉をそのまま読むと、将来進む道に複数の選択肢があるように見えてしまうが、今回の分岐点は、その点難しかったと言える。2年半勤務した会社を去ることになったのだ。
それ以外の選択肢、なし。
自己弁護しておくと、仕事ができないからクビとかではない。うちの会社の担当営業と、出向先の会社の人事部長がケンカして、全面撤退。ケンカのもとは自分なのですが。なにも悪いことはしてませんよ。ちなみに。で、突然自社の営業から電話があって、すぐに会いたいと言われ、会ったら突然言われた。
しかも1ヶ月以内に撤退。ぉぃぉぃ。
退社が決まり、会社のお世話になった方々に衝撃の報告。
社内のスタッフはほとんどがお知り会いなの
で、あちこちからメールや電話や訪問を受ける。
退社理由を知り、本気で嘆いてくれる人多数いらっしゃいました。
精一杯仕事をしていたら、人って見ていてくれるんだな、と、改めて実感しましたよ。
リーダー、部長を含め、いろんな部署のたくさんの人が、社長に直接抗議するなどの行動をとってくれたそうです。そこまでしてもらって、本当に感謝しています。
今この会社でやるべきことは、終わったんだと、自分でけじめはつけられました。
送別会を何度も開催していただいた。壮行会も。ちょっと今月飲みすぎ。
一番お世話になった部長が、素晴らしい推薦状を3部渡してくれた。
「次の就職に役立てられるなら使ってください。いらなかったら捨ててかまわないので」と。
読んでみて、これが本当に自分のことを書いてある文章か?と思ってしまった。いや、嘘は書いてないんだけど。2年半、こんなに頑張ったんだなぁ、と。
半年に1回、「業務」の範囲外で会社に貢献した人を表彰するAwardという制度があったんですが、それで2回も賞をいただいたし。
この会社で学んだことは絶対に自分にとってプラスです。自信もつけさせていただきました。
ありがとう!○○○○株式会社のみなさん!
2003年4月後半
次の就職について真剣だったりする。
30才という年齢は、技術者の中途採用としては、一番脂ののっている時期らしい。(by 某人材紹介)
イギリス人のエージェント1名と、国内大手の技術者専門紹介エージェントに登録している。不況とはいえ、これまでの経験とスキルを生かせば結構仕事はあるようだ。ただし、前進できる仕事であることが自分にとっては大前提である。
「毎日これやってればいいよ」とか「余計なことまで口出ししなくていい」は言語道断。やりがいを求めるのである。
失業者としては、どこの会社にチャレンジするのも自由。こんなチャンスって逃す手は無い。
だから、自分の会社が紹介してくれる次の会社には期待せず、前述のエージェントたちと、自分の足を使って就職活動。
「どうせだから」という言葉が似合うかどうかはわからないが、せっかくだから、某超大手世界企業を受けたいと思った。今までお世話になりまくっている技術系メーリングリストを運用しておられる方が、その会社の社員であることを知っていたので(オフで一度会ったことがあるだけなんですが)、連絡してみた。
いまはその会社、とある理由で就職するのに良い時期ではないかもしれないという返答。ただ、できるだけのことはやってあげますよという話でした。
人に頼ってばかりも居られないので、同企業について募集が無いかどうかをエージェントに確認しながら、Webで公開されている募集を使って自分でも就職活動してみようと行動開始。
しかし、社員の方がおっしゃったことが事実であることを証明したに過ぎなかった。時期が悪い。
その企業が次の大型商品をリリースしたら、状況が変わると確信。いまは時期じゃない。
さて、振り出しに戻った。
そこに、自分が所属する会社の営業から連絡が。
次の会社を紹介したいという話。どこですか?
某ISP...というかキャリア。う~ん。時期が良くなるまででもいいし、面接受けてみますと返答。
面接受けた印象・・・むっちゃ忙しそう。時間的制約が。だって面接で3回も、忙しいことを強調して、「大丈夫ですか?」と確認された。徹夜とかも大丈夫ですか、など。
徹夜というものは作業効率の面から見て否定派なのだが、徹夜は大丈夫だ。
その後も面接結果の連絡で「スキル的には問題ない、ただ、本当に忙しいのでその点だけ大丈夫かどうかもう一度だけ確認したい」というしつこさ。
ちょっと不安になったので、同じ会社に行っている人の勤務状況を調べてもらった。
ふむ、そんなに無茶苦茶ではなさそうだ。
よし、働かなければお金も入らないし家計が苦しくなるだけなので、大丈夫ですと返答。
その数日後、採用通知。
2003年5月 第1週
来週から新しい職場。気合いと活力を蓄積するため、この意図していなかった休暇を利用して、いつもゴールデンウィーク休暇が長くてうらやましいかみさんと1泊2日のドライブ。もちろん犬どもも連行。やっと新しい車の広さが本領発揮。というのは、犬がいるから旅館やペンションは犬と泊まれるところを事前に予約する必要があるんですが、今回のように突然旅行に行く場合、予約なんてしていられないし、犬と泊まれる所って大概宿泊費が高かったりするので、道の駅の駐車場で車を止めて、車をフルフラットにして宿泊。
2003年5月 第2週
Javaと格闘。Servletも少々。Socket Programmingを極めるべし。
新しいものにチャレンジするのは好きだし、環境適応の早さと吸収力には自信があるが、Javaの開発がメインになるとは思わなかった。それにしても Cygwinは便利だ。新しい職場は、前の職場のように余ってるPCが簡単に手に入ったりしないので、UNIXの開発環境やテスト環境が自由に作れない。
ちなみに、自分が入ったチームは「特別に」忙しいところだった。
採用決定前に、自分の会社から来ている人の勤務時間などを調べてもらったとき、そんなに大変そうじゃないなと思ったが・・・甘かった。いや、甘かったとは思わない。なぜなら、もっと大変な状況も想定していたので。
ただ、まわりを見ていると決して業務効率がよくないと思える部分が多い。
あと仕事が目に見えて遅い人とか、スキルが足りてないので堂々巡りしている人とか。
逆に、スキルがあるがために仕事が集中してしまい、仕事に埋まっている人もいる。
自分は、そんな人の助っ人として、入ったのだ。
自分より1つ年上の人と、2名で動いている。
2003年5月 第3週
SQLと格闘。shellと格闘。RedHat Linuxと格闘。ネットワーク機器制御用のソフトウェアと格闘。作りが最悪。
新しいプログラムのフィールド検証。夜間作業のため徹夜数回。久々にCatalystを触った。フィールドで発生した障害の再現テストのため、徹夜。
指示されないと動けない自分が不甲斐ない。でも新しい職場の人たちは、自分が何をできる人なのかわからないし、いまは評価してもらうしかない。
2003年5月 第4週
前職ではわざとWindowsに自分を偏らせてみた。理由は明快、UNIX使いばっかりでWindowsをまともに動かせる人がいなかったから。でもここは逆のようだ。最近はFreeBSD以外ほとんど触っていなかったので、 Linuxに戸惑う自分が情けない。ここは気持ちを切り替えて、UNIXな人になろう(戻ろう?)と決意。
UNIXコマンドの基礎も知らない技術者に呆れ果てる。やっぱり自分の業務範囲とかに拘っていたら、自分で発想できる新しいものの可能性を自分から否定することになるでしょう。何でもやってみようよ。
っていうか、grepも知らない技術者はヤバいですよ。ディレクトリのことをフォルダと言って説明しなければ理解してもらえない状況に寂しさを覚えた。
以上、エンジニアとしてのオピニオン。
さて、やっと身近な人たちを覚えてきた。特に自分が人の名前を覚えたりするのが苦手なわけではない。前職では社内のスタッフ200名以上のうち、ほとんどの人の姓名を知っていて、しかも面識があった。でもこれは、みんなの使っているシステムをサポートしていたからという理由があった。
最近自分の会話に、「前の職場では...」で始まるフレーズが多いのが気になっている。「どこの馬の骨だか知らないけど、前の職場のことばかり話すよ。いまはどうなのよ?」と、思われやしないだろうかと。
でも会社によってこんなにカルチャーが違うのかと、驚きと発見の毎日なので、どうしても出てきてしまう。
今の会社のほうが良い部分もあるし、逆に悪い部分もあるから、双方の良い部分をうまく組み合わせて業務を改善していきたい。そう思うと、まず身の回りの人に、ここの会社のこの考え方は「前提」ではないんだよと説明することになる(前提だと思い込んでいる人が多いように見受けられるため)。その説明を行うに手っ取り早い方法は、前職場との比較を説明することだ。決していまの職場のここが悪いとか、前の職場はここが良かった、とか言うつもりで前職の話を持ち出しているわけではない。
そういえば、吐き出し窓のレールにしこたま足をぶつけて、右足の親指の爪を折ってしまった。かなりへこんだ。爪の怪我は精神的につらい。
コストコの会員になってみた。入会金が高いから入ってなかったんだけど、かみさんが「商品が安くてすぐに元が取れるらしい」という情報を会社の人から聞いてきたらしく。コストコではAmerican Expressしか使えないというので、不本意ながら入会。初年度は無料だっていうから、まあいいけど。
今月は、実質3週間しか働いていないんですが・・・勤務総時間:250時間以上。
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