思い出せる限り昔から、ダムが嫌いだ。ダムだけではなく、人工的に大量の水が貯まっている場所が嫌いだ。どう嫌いなのかは説明することができないのだけど。
生理的に受け付けない。ダム・貯水池・調整池・浄水場・下水処理場・貯水塔・水族館・釣り堀・いけす。プールはまだ大丈夫なほうだが、それはたくさん人が泳いでいることが前提だ。
むかしアメリカのとある遊園地で「波の立つプール」に入り、沖に出てしまった。波の発生器付近まで行ってしまい、発生器の出すグオングオンという低周波を感じたときは、恐怖のあまり体が言う事を聞かず、溺れそうになってしまった。
幼少の頃、まだ父親が家にいた頃、父親とふたりで車で遠くまで出かけた。なぜか母も兄弟もいなくて、自分と父親だけだった。行った先には、父親の仕事仲間と思われる大人がたくさんいた記憶がある。そこへ向かう途中、ダムの上を通った。ダムのアーチ型のコンクリートの上に道路があり、そこを車で通過したのだが、恐怖のあまり声も出せず、車のシートに深く体を沈め、外を見ないようにしていた。
ちょうどダムの放水をしていたらしく、ものすごい水の音がしていた。あの音は決して忘れることができない。
千葉に引っ越してきたばかりの頃、友達と自転車で近所を探検した。
小道を走っていると、正面に大きな建物があって、そこで道は行き止まりになっていた。付近まで行くと、地下から低く大きな水の音がする。給水場だった。
建物の周囲に広く確保された芝生のところどころに換気口のようなものが生えており、そこから水の音が響いてくるのだ。自分が立っている場所の真下に大量の水があると思うと、いてもたってもいられなくなった。思い切り自転車のブレーキを握ると、ブレーキのワイヤーが左右とも切れてしまった。
この恐怖は、生まれつきだと思う。得体の知れない恐怖なのだ。心底震え上がってしまう。それでも年齢と共に極度な反応は示すことがなくなり、今では自分で想像力を働かせない限り、すくみ上がることはなくなった。
先日、奥多摩湖を形成する小河内ダムへ行った。
八王子ICからR411をあきる野方面へずっと進むと、次第に山道となる。いくつものトンネルを抜け、曲がりくねった峠道を超えると、突然ダムの巨大な堤体が眼前に現れる。その現れ方は、心の準備をする間を与えないほど突然で、しかも威圧的だ。
最初に見えるのは、オーバーフロー用のクレストゲートとそこから続く水路だ。まるで冬季オリンピックのジャンプに使う坂道をすべてコンクリートで作ったような形。坂道は流線型のカーブを描いてゆるやかに平らとなり、またそこからカーブを描いて視界の下へ。そしてこんな山あいには似つかわしくない巨大さ。しかもそれが自分の位置よりはるか上から始まっている。ダムの頂点は、ずっと上方にある。つまり水面よりも低い位置にいま自分はいるのだ。
恐怖だ。
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