サービスするということ

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「いつもお世話になっておりますので、こちらはサービスとさせていただきます」
といった使い方があることからも分かるように、日本では「サービス」という言葉に「無料奉仕」の意味が含まれている感がある。しかし本来サービスとは、相応の対価を支払ってもらって行うべきことで、逆に言えば、カスタマーが得たサービスの満足度に応じた報酬が、サービスの提供者に支払われる。
これが資本主義社会におけるサービスの基本だと自分は理解している。
これは、忘れてはならないことだ。
サービスの質と報酬の額が適当であって初めて、提供する側もされる側も満足することができる。
そして世の中はうまくできているもので、もらう額に相当するサービスを提供するには、手を抜くなんてことは許されないのだ。

と、ここまで書いた内容は、人に自分の考えを話すときに使う文句だ。もちろん嘘偽りはない。
自分が提供するサービスは、企業にとって自分に対して報酬を支払った額に応じたものもしくはそれ以上のものであるべきだと常に思っているし、それを実践してきたつもりでいる。
じゃあその本質はなんだ?と考えたときに出てくるのは、人間関係になる。
同じモノを同じ価格で売るにしても、ケアの違いが顧客の満足度の違いになって現れる。

つい先日、それを体感してしまった。
限られた時間内にある仕事を片付けなければいけないプロジェクトに関わり、その期間内にお客様が期待されていた以上の結果を残すことができたのだ。
仕事を正確に速く進めるチカラ = 能力、ポテンシャル
これがサービスの質を左右すると、体で感じることができた。よい経験だったと自分で思う。
気難しいことで内部では有名だったお客様だったのだが、そのお客様が社内でどんな立場で、どのような事で今苦しんでいるのかを、頭の中でできるだけリアルにシミュレーションしてみた結果、そのお客様が我々にしてほしいことが明確に見えたのだ。
そのシミュレーションをする上で、不足している情報があったときは遠慮なくお客様に直接聞いた。
ただ聞くだけでは「何だこいつは?」と思われるので、実はこうしたいんだという率直な気持ちを伝えたら、とても喜んでいただけた。
結果、お客様に満足していただけるサービスを提供できたのだ。
しかしこれには勇気というか、覚悟が必要だった。
限られた時間しか無い中で、お客様の要望に対してすべてイエスマンになることはできないから、できないならその理由を偽り無く伝えなければいけないし、伝えるだけではビジネスとしては通用しないから、じゃあその代替案は?ということになる。
頭をひねりまくって、じゃあここの部分は満足がいくまで徹底的にやりましょう、そのかわりこっちは、こういうわけで時間が足りないから、こうしたらどうですか、と提案した。
お客様も鬼じゃないから(というか、プロジェクトをクローズしたいのは共通の目標なので)、それで納得していただけたのだ。
徹底的にやる部分を絞る。これであとは作業をするだけだ。
これで言った事が守られなければ、自分の首を絞めただけになってしまう。やると言った以上、できませんでしたでは済まないから、ある意味自分を追いつめたのだ。もちろん、できそうもない約束をしたつもりは無いから、あとは頑張ってこなすだけ。
で、結局なんとかなった。
プロとして「サービス」を提供できたと思う。
すごくよい勉強にもなったし、お客様の笑顔を見ることができたのが一番の収穫だ。
やっぱり自分は、人が幸せになることを手助けしてあげるために生きていたい。

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