凛として惑わされず、自分に誠実であること。
どんなに知識を増やして手法を会得しようとも、人と人との関係というものは、誠実さの上に成り立っていなければならない。
自分に対して誠実でいられない人が、どうして人に誠実でいることができるだろうか。
そして、誠実さをもたない人間が、手法や知識だけで、コミュニケーションを長期的に成功させることができるはずがない。
これが、いまの僕の持論だ。
誠実さがあって初めて、信頼が確立する。
信頼がなければ、コミュニケーションに成功などない。
では誠実さとは何か。
正直であること。自分にも、他人にも。
自分の価値観を曲げ、不本意なまま相手に合わせていくことがどんなに不誠実なことか、考えたことはあるだろうか。
価値観の違いというものは、必ず存在するものだ。
それは、相手の物事の見方が自分と異なるために、違う物の見え方でいることを想像できなければいけない。その上で、自分がその相手の価値観に合わせて自分の価値観を改善すべきなのか、それとも拒否するべきなのかを考えなければならない。
これがあって、はじめて誠実な対応だといえる。
コミュニケーションが苦手だとか、人から信頼されない人間というものは、必ずその基礎となる人格や、人生の考え方に問題を持っている。
だから、その基礎を改善しないことには、いくら教養書を読んだりセミナーに参加したり社会経験を積んだりしたところで、付け焼刃的なものしか得られないのだ。
そういう前提で物事をものさしで計ってみると、世の中がどれだけ小手先の技術や立ち回りに依存したものになってしまっているかが、良く見える。そしてそれが、唯一普遍な方法であると信じて疑わない人が多いのだ。
これは僕の信念に反する。
手法は、生き方から生まれてくるものだ。
たとえば極端な話だが、普段食事をするときに行儀の悪い人が、人前では完璧なマナーで食事ができるとする。
これが小手先というものだ。
こういう考え方を持っているからこそ、僕は僕自身を常に反省し、責める。
責めるという言い方は間違っているかもしれない。
常に、「それでいいのか」(いや、よくない)と考えることがあるのだ。
苦手な上司とぶつかり合ったとき、もっと相手のことを考えた言い方はできなかったか。
家族との接し方で、もっと気の利いた態度はとれなかったか。
自動車を運転していて、あの車に道を譲れなかったか。
満員電車で居眠りして寄りかかってくる見知らぬ人に、肩を貸してあげられなかったか。
どれもみんな、自分の根幹である、人格からきているものだ。
人格の成長を常に意識して生きていなければ、前に進まない。
僕の考え方は世の中において多数派ではないかもしれない。
だからこそ、今まで何度もすっ転びながら生きてきたのかもしれない。
しかしこれは、間違った考え方ではないと確信した。
多数が正しいとは限らないのだ。
自分よ、これでいいのだ。
そう思えたとき、僕はすべてを克服できる気持ちになった。
そして、立ち止まっている場合じゃない、僕はもっともっと自分の足りないものを補いながら、前に進んでいくために生きているのだと思った。
では、何のために人格を改善していくのか。
人のためである。
コメント
誠実に対しての捉え方が甘いような気がする
文章も誰かを見下しているような…
7つの習慣よんだ?
横から失礼。
チーフさん、人が何かに対し、どう捉えて考えるかに《甘い》も何も無いのではないでしょうか。
しかも記事の日付を見れば3年近く前のものじゃないですか。
チーフさんのご意見も分かりますが、このブログを書かれている方の気持ちも汲み取ってさしあげるのもひとつの誠実だと私は考えます。
3年が経過しようとしている現在、このブログを書かれた方の「誠実」も変わられているかもしれませんよね。
「7つの習慣よんだ?」というチーフさんの短いご意見にも、私から見れば「見下している」ように思えます。
そういう私の意見も《誠実》ではないかもしれませんが。
余計な事とは思いつつ、見逃せませんでした。
失礼がありましたらお詫び申し上げます。
では。
>何のために人格を改善していくのか。
“自分のため”である。(`・ω・´)シャキーン
私はそう思う。
人のために人格を改善しようとすると、一人ひとり違う人のために毎回人格改善をしなきゃいけなくなるじゃん?
メンドクサイじゃん?@@;
だから、改善が必要だと自分自身で思った場合は、やっぱり“自分の為に改善する”のでイイと思うけどなぁ~。
しかし、アレだね。
3年近く前の日記にコメがつくなんていいね。w
古い日記を読み返すきっかけになるじゃん。(´▽`*)アハハ
@チーフ
考え方が甘いというのも、見下しているように見えるというのもおっしゃる通りですね。
あんまり読み返さないで投稿してしまうので、改めて読んでみてそう思いました。
7つの習慣は読んでますが、いろいろと感情やらそのときの気持ちやらで書くことも影響されますので、なかなかうまくいかないんですよね。
@タナトス
ありがとうございます。ちょっとだけ落ち込んでたんですけど、心が救われました。
@よも
「利己的」って言葉にコンプレックスを持って、自分のために何かするっていうことに罪悪感を持っていた気がする。自分のためでいいんだよね、自分の人生なんだし。