思ったこと

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家族ってなんだろうって最近よく思うよ。
いや違うな、家族って「なんだったんだろう」だな、正確に書くと。

子供の頃は、家族に依存しなければ、経済的にも社会的にも生きていけなかった。
だから同じ屋根の下で暮らしてきたわけだけど、一体それは何だったのか。

自分がうつ病であるということで、腫れ物にでも触るような気分なんだろうか。
それとも、気を使って連絡してこないのか。
連絡してもどうせ音沙汰が無いだろうと思っているのか。

弟がシンガポールに行くときも、結局連絡もなかったし。
実家にはあまり行きたい気分じゃなかったので、弟に「3月12日は仕事で行けそうも無いから、家をたたむ前にそっちに行ってもいいか」ってメールしたんだけど、それもまったく返事がないまま行ってしまった。

12日も、連絡ひとつなかったな。
まあそういうことなんだと。
自分はもう自分の家族がいて幸せだし、幸せにしなきゃいけないし、それで満足しているから、べつにいまさら自分の親兄弟と「家族」したいわけじゃないから、全然かまわないんだけど。
でも親は先に死んでいくものだけど、妹弟とは一生の関係なわけだから、仲良くしたかったなって気持ちはある。

しかしそれとは裏腹に、最近実家に帰ると感じる息苦しさ。あれはなんだ。
妹にも弟にも子供がいて、子供中心になっているからじゃないかな。

ママの実家にいくときは、逆に嬉しくて仕方ないというのに。
あっちにだって、さやちゃんやもえちゃんがいる。
自分と血のつながっている甥っ子や姪っ子よりも、血のつながっていないさやちゃんやもえちゃんのほうが、正直いってかわいい。
安心してかわいがることができる。子供に対して平等でいたいという思いはあるし、子供にはまったく罪はないから、たぶん親の問題だと思う。

自分の実家で、唯一仲良くしたいと思えるのは、やっぱり血の繋がっていない妹の旦那だけだ。これまたおかしな話だ。
なんか、つくられた「円満」みたいなのを感じる。オチも感じてるんじゃないかな。
社交辞令とまでは言わないけど、気軽に本音が言えないっていうか。

ママの両親のことは大好きだ。お姉さん夫婦も大好きだ。大好きなだけに、いろいろ援助してもらっていることに対してとても申し訳なく思っている。
そして、その援助してくれていることを自分には知らせないようにしていることもわかってる。だけど実は、それは反対だ。
押し付けがましく援助されるのもいやだけど、なんで反対かというと、援助されているのを知っているのがママだけの状況になると、ママに心理的負担が集中してしまうからだ。そんな負担は、一家の大黒柱である自分が背負うべきものだ。お金を借りているのなら、そうなった責任は自分のもので、ママのものではない。自分がそうしたいのだ。
そんなものが心の負担でうつ病の原因になったりはしない。
逆に、変に気を使ってもらうほうが心の負担になってしまうのだ。

お金を借りる必要があるなら、本来なら自分たちから訪問して、土下座して借りるべきものだ。好意で貸してくれたお金が何百万とあるが、実際これについても話題にすると「いいのいいの」って軽く流してくれているけど、足を向けて眠れない。本当に感謝している。
100%質素な生活によって厳しい生活をすることで、さらにママに心の負担をかけたくないから、ある程度余裕をもって返していくことになると思うが、心構えとしては、本来遊びにお金など使っている場合ではないのだ。

三島由紀夫は言っている。
「男の生活と肉体は、危機に向かって絶えず振り絞られた弓のように緊張していなければならない――。」
その通りだと思う。

話が逸れた。家族の話に戻そう。
自分はいま、家族をもっている。これはとても幸せなことだし、そう感じている。
だからこそ、自分が仕事をしていないことで家族であるママが不幸せを感じてしまうことに、危機感をもっている。自分にとって、家族の幸せこそが、自分の幸せなのだ。
これは揺るぎない。

だから、いま出来る限り最高の条件で仕事を探している。
正直なところ、あの上司と一緒に長く仕事が続けられるという自信がない。

いまの職探しといままでの職探しで、大きな条件の違いがいくつかある。
いま大事に考えている条件を以下に記す。

  1. 通勤時間
    これは今まで一番軽視してきた。実際、神奈川県は無理だ。気分的にも遠くて辛い。東京都か千葉県で探している。東京都でも、できれば東側に近い地域か、電車一本で通える地域がいい。千代田区、江戸川区、江東区、品川区、港区、墨田区あたりがターゲットだ。
  2. 会社の業務内容
    二次請けを中心とした開発業務は、給料も安いばかりか、勤務環境も酷だ。いちばん精神的な病気の社員が多い業種でもある。一次請け中心がよい。システム開発「だけ」を売りにしている「なんとかシステム」系の会社は避ける。
    コンサルティングを行っている一次請けか、ソフトウェアかハードウェアのベンダー、そしてテレコムキャリア系、ユーザ企業。ユーザ企業は仕事が楽で、十分に能力を発揮できる業種だが、新しい技術に触れる機会が減るため、自己研鑽やモチベーションの維持に苦労するという問題もある。
  3. 自分の業務内容
    35歳の転職では、リーダーシップや管理スキルが当然求められる。リーダーシップが発揮できる自信のある分野でいく。
    ただ、新しいものの吸収を常に強いられるような仕事を続けてきたおかげで、新しい挑戦にはまったく不安がない。技術面では、知らないものは覚えていけばよい。管理面では、技術の種類に関係ない普遍的な経験がある。今後はさらに管理スキルとリーダーシップスキルを磨きたい。それが可能であること。
  4. 給与
    いままではこれにこだわりすぎた。とくにアドベントネットではじめて給与が下がるのを受け入れてから、やっぱり高いほうがいいという気持ちにまた傾いていた。高い給与には必ず理由がある。会社が儲かっていて高いのか、それとも即戦力がすぐにほしくてお金に目処をつけないのか、など。
    今回は、最低給与はKVHのライン、750万。800万以上を希望。年齢と経験から考慮すれば、うつ病をやったことを加えても、決して高すぎる金額ではない。
    ただし、無職の期間が長引くと生活費の問題が出てくるので、多少妥協しなければいけないかもしれない。妥協するとしたら、ほかの条件がそれを補うようなものであることを期待する。
  5. 忙しさ
    うつ病をやってから、忙しすぎるのはダメだと医者に言われたり、忙しすぎるとストレスになるとかいろんな人に言われたが、結論としてそれは自分にはあまり当てはまらないことがわかった。
    忙しいのを避けて、80%とか70%の力をだして働くというのが、所詮無理な性格なのだ。逆に、力を出し切って仕事ができないとストレスになる。大事なのは、その仕事を楽しんでできるかどうかということだ。楽しい仕事かどうかという意味ではない。楽しんでできる仕事というものは実際にある。経験しているから断言できる。楽しく仕事をしている限り、ストレスは無い。どんなに忙しくても。
    ただ、忙しいことでママに生活面で負担を与えることは避けよう。
    朝から晩まで忙しいからといって、食事の準備をしてもらったり生活パターンを同じようにあわせてもらうのが当然だと考えてはいけない。
  6. 社風
    これは重要だ。とにかく、縦社会の社風には馴染めない。理不尽なことには猛反発してしまう性格なのだ。意味の無いルールとか、存在価値がないものに従うことで時間を無駄にする理由が、まったくわからない。盲目的にそういうことに従う人がいるから、いつまでたってもそういう会社がなくならないのだ。
    人はたまにこれをベンチャースピリットと呼ぶが、そうではない。時代がもう違うのだ。合理化、実力主義、成果主義。当然のことだ。
    働かない奴が高い給料をもらう資格などないのだ。
    甘い汁を吸っているやつは大嫌いだ。
    だからこそ、理不尽なルールがあるような会社や、自我ばかり強くて交渉しにくい人だらけの会社には行くつもりは毛頭ない。

結論。うつ病は、脳の病気であると医学的には言われているが、結局自分自身の問題である。心の持ちようである。
だから、うつ病は誰のせいでもない、自分が引き起こした、自分の問題である。克服できる。自分が自分に厳しく生きればいいだけの話だ。

いままでよりさらに厳しく仕事に望もうと思う。
厳しくしすぎたからうつ病になったのではない。
自分は自分。他人と違うのだ。
厳しい課題をつくり、それをクリアして達成感を得る。

とにかく、早く仕事を見つけなくては。

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