先日ここに書いたように、セカンドオピニオンによって、僕は違う病気である可能性が強いことを指摘された。転院するのなら紹介状が必要と言われてしばらく悩んだ。確かに誤診が明らかなのであれば転院したほうがよいのだろう。現在の主治医に「僕の病気、違いませんかね?」などと進言するような気持ちにはなれない。しかしながら、セカンドオピニオンを得た病院は上野にあるのだ。長く通うには、家から近い今の病院のほうが楽なのだ。
――どうしようか考えながら時は過ぎ、処方されている薬の効果が悪い方向に向かっているのが感じられてきたため、いつもの病院に行ってみた。
定期的に行われる詳細な問診の日だったんだけど、アンケート用紙に記入したり、最近の調子についていろいろ質問されて答えていたら、主治医から「躁うつ病(双極性障害)の疑いが強いですね」と言われてビックリ。
こうして、病院を変える必要もなくなった。
担当医に言われたこと(一部、自分で調べた内容)
- うつ病と躁うつ病では治療方針が全く異なる。うつ病は気分を持ち上げることが目的だが、躁うつ病はバランスをとりつつ調整しないと、躁転、鬱転してしまう。
- 現在の僕は躁と鬱がミックスしている状態なので、今まで一定の効果を上げてきた抗うつ薬はそのまま処方量を調整しながら続け、上がりすぎを抑えるために双極性障害専用の薬(デパケン)を一緒に服用する。
- デパケンは効果が出る血中濃度を厳密に計測する必要があるため、定期的に血液検査をしなければならない。まずは最小の分量からスタート。
- 躁うつ病は、一生続く病気である。躁でもない鬱でもない状態をなるべく長く維持することが治療の目的である。寛解したからといって薬を飲むのをやめてしまったら、100パーセント再発する。
このような経緯によって、新しい薬を飲み始めた。
薬の効果は2週間ほどで現れた。今まで処方された薬の中で一番劇的な変化があったので、すぐにわかった。
あまりにもショックが大きかったので、詳しく書いておこうと思う。
感じられた効果は、「頭の回転がよくなった」「物忘れが減った」「集中力が増した」「感受性」「五感が鋭敏になった」といったところ。
また、焦燥感、イライラ感や、薬が効いているときの不安感がなくなった。
しかし現状では、一日のうちで最良の状態が30分〜1時間くらいしか続かない。イライラの減少は、一日を通して効果が感じられた。
しかしながら、その短い「最良の時間」が僕に与えたショックは、とんでもないものだ。
どんなに衝撃だったのかをうまく説明してみたいから、写真を使ってみようと思う。
▼五感、思考力、集中力などを総合して絵にしてみると、「最良の時間」の僕にとって、世界はこの花のようだ。
皆さんにはこれが何に見えるだろうか。ただの花に見えているだろう。僕にもこれが花に見える。でも、この花がこのように見えるようになって初めて、今までそう見えていなかったことに気付いた。
▼それでは今まで、世界はどう見えていたのかというと、こうだ。
世界はこんなだったのだ。誇張なんてなく、本当にこれくらいの差があった。
生まれてからずっとそうだったわけではないと思う。
何故なら、今回の薬によって初めての世界を垣間見たとは思わず、「確かに蘇ってきた何か」を感じているから。
世界がこの写真のだったら色々大変でしょう。実際、大変だった。しかし恐らく僕は、健常な状態から約20年、あるいはそれ以上の時間をかけて少しずつこうなっていったから、気がつかなかったのだ。
例えば、お父さんが子供の運動会で保護者リレーに出てスッ転んで怪我して、初めて自分の体力の低下に気がつくように。
例えば、新車を20年乗り続けて、だんだん足回りもエンジンもクラッチもボディもヨレヨレになって本来の性能が出なくなっていったとき、同じ車を新車の状態で乗ってみたら、初めて違いに愕然とするように。
何かうまく説明できないけどそんな感じ。
上の画像は、とてもよく「前の状態」を表していると思う。
思考には常に邪魔なノイズが入る。入っていた。ノイズが消えて気がついた。薬を飲む前は「考えがバラバラに次々とひらめく」「考えがまとまらない(整理できない)」「集中力が続かない」「気持ちが落ち着かず、せわしなくチカチカと変わりながら常に走り続けている状態」といった症状があった。
うつ状態の自分は、このようなイメージになる。
フォーカスが無い。鮮明さが無い。希望が無い。五感、思考、欲求、感情、すべて輪郭が怪しい状態だった。それでも生活できていたのは、自分なりのバランスのとり方を編み出していたのだと今は思う。僕は視力が1.5だからメガネを使わないけど、メガネが必要な人がメガネをかけなくても、かけているときの経験で大抵のことをうまくこなしてしまうような感じかな。必要以上のエネルギーを使って物事を処理してきたのだなぁと思う。
うつ状態からだんだん上がってくると、どこが正常値か分からない。
うつ状態は本当に恐ろしい。完全にモノクロ、または真っ黒。世界のすべてが色褪せ、思考の世界もその弱々しいコントラストの中でぐるぐると回っている。周辺から次第に暗黒化していき、それにつれて自分の思考の幅が狭まっていき、もちろんそんな狭まりを自分で意識することなどできないから、死に追いやられる。
「躁状態」と「うつ状態」の入れ替わりは、以下のような感じだろうか。
これまでの写真と比べたら色も鮮やかだし、だいぶ花らしい。ディテールに欠けていて、何かが足りないけど、他の状態に比べればいい感じではある。問題は、たまに電波の入りの悪いテレビのように乱れることと、この状態で安定しないということだ。おそらくこれが健常に一番近い状態であり、そして、健常ではないのだ。この病気って、脳の入出力のボリュームが最大と最小しか無いような感じがする。
躁転はおそらくこうだ。経験がある。
全てのカラーが取り戻され、エネルギーとパワーがあるし、何でもできそうな万能感に満たされる。しかしそれが異常な状態であることが、自分では分からない。
赤はきちんと赤に見えるし、黄色い花は黄色い。だから、気にしない。
集中できる部分が限られる。一点集中しかできない。同時に複数のことを考えることができず、それを要求されると、どうにもならなくなる。本人は何故イライラするのかもわからないし、同時に複数のことができなくなっているという実感もない。「できる」状態がわからなくなっているから。
さらに生活を困難にさせるのは、集中する部分が次々と変わることだ。
よく今までうまく生きてきたな、って思いかけたけど、今まで上手くなんてやってきてなんていないんだった。
社会不適合者の寸前まで何度も落ちているし、友人もほとんど失ったし。
「躁状態」と「うつ状態」の共存状態。切り替わってしまったり、両方が同時に存在していたりする。ものすごく疲れる。
「うつ」の大きな波は、不定期にやってくる。いつ来るかわからず、いつ去っていくのかもわからない。
先日、今までの「うつ」状態をすべてブログのエントリや過去の日記をたよりにしてまとめてみたところ、はじめは3〜4年おきにやってきていたようだが、そのサイクルが徐々に短くなってきている。
「うつ」ではないとき、僕はほとんどが「躁」である。だからこそ元気で明るくエネルギッシュで仕事もバリバリこなし、宵っ張りで行動力抜群なのだと思った。
では、本当の自分の性格とは一体何なのだろうか……?
明るくて積極的で何事にも好奇心を持ってチャレンジする自分が、ただの「躁状態」のせいなのだとしたら、本来の僕はどういう人間なのだろう。
ナポレオンもチャーチルも躁うつ病だった。ナポレオンがもし躁うつ病でなかったら、睡眠時間3時間でヨーロッパ中を駆け巡ることなんて出来なかったに違いない。
僕が作っている音楽が、描いた絵が、完成させた仕事が、「躁状態」の頭の中で次々と湧くインスピレーションをもとに作り出されているのだとしたら、「普通」の僕は一体なにができるのだろう。
躁状態のツケ(反動)としてうつ状態があるのはよくわかる。弓は引っ張れば引っ張るほどよく飛ぶものだ。引きすぎたら切れてしまうけどね。
だから、この病気は「利点もある」からといって放置しておくわけにはいかない。躁状態で作り上げたものはすべて次のうつ状態で崩れ去るし、躁状態の度が過ぎれば集中できずイライラして、その先にはもっと悪いシナリオが待っている。美味しいところだけ享受するわけにはいかないのだ。
躁状態の自分がやっていることを普通の状態で再現できるかといえば、無理だろう。薬によってもたらされた短い「最良の時間」は、それを認識させてくれた。
そうなると僕はもしかしてただの何でもない木偶の坊なのか?
この病気が僕をさんざん危機に陥らせてきたのは事実だし、逆に危機に陥った自分を救ってきたのも事実なのだ。失われたものを取り返し、それ以上の結果を出そうとするかのように、フル回転で行動することによって、得てきたものがある。それを僕は「悪運が強い」と語っていた……。
いつもいつもギリギリのところまでガックリと運が落ちて、ギリギリのところで低空飛行から一気に盛り返すから。
これってやっぱり病気のせいだったのか、と思うと複雑な気分だ。
自分に合った量が確認されて処方されるようになれば、それでハッピーになれるのかな。
そうだといいな。
もし病気が治るのなら、その先にある人生は良かれ悪しかれ今までとかなり違うものになるのでしょう。
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