奔流

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Sさんと知り合ったのは今から20年以上前。

我が家に初めて遊びにきてくれた。

ときに予知は、このように四半世紀近く待たされることもある。それは何故かといえば、願ったときにそれを具体的に降ろさなかったからだと思う。

しかし物事には順番がある。これでよいのだ。

タイムリミットを決めないことを永遠という。


「不適切にもほどがある」という新しいテレビドラマ。まだNetflixで第1話までしか視聴できないが、なかなか面白い。

それから「正直不動産」。これはMさんに教えてもらったテレビドラマ。これも面白い。


水流のエネルギーに逆らって一度に捻じ曲げることはできないが、エネルギーの奔流には常に力点や支点がある。氣を見極めればそこにそっと添えるような風を与えるだけで大きな流れが変わっていくものだ。

最近はそれが観えることが多く、「何でもかんでも力任せにやればいいってもんじゃない」の意味を少し理解したのかもしれない、と思う。


人を呪わば穴二つ。

流れ来る刺々しい力、禍々しい力を感じている。大抵の呪いはしつこい。しつこくなくて済むなら呪うことになんてならないから当然といえば当然のことだが。

呪いを喰らわずにお返しすることは容易いのだが、返した呪は元のエネルギー量に加えて反射したときに加えられるエネルギーをもつ。だからこそ僕はそのまま返したくないし、できれば氣のせいにしておきたいところだが、送り主がしつこいとそうもいかない。こちらにも抑え切れる限度があるので、ダムが満水になったら放流しなければならないように、抑えられなくなるタイミングがいずれ訪れる。その前に送り主が送流を止めてくれればこちらとしても対処のしようがあるのだが。

ある程度エネルギーが溜まってしまうと、僕はその口火を切るために銀の刀を抜かざるを得なくなる。刀は自然に鞘から抜け出てくる。

それを振るか振らぬかの選択肢は僕には与えられていない。

今回の送り主は一人ではないが、その全員がいま、自業自得のフェーズにあるはずだ。相当(相当という言葉には、フェアな意味合いがある)に苦しんでいることと思う。


呪の発動は本人が意識していないことの方が多い。意識していようがいまいが、潜在意識から感情に伝わり、感情から発せられる言葉そのものが呪であり、感情そのものが呪なのだ。それを事前に防ぐためには清廉かつ謙虚である以外にない。


己の吐き散らかした呪が戻ってきてもなお、己の呪が元凶であると認識できない者もいる。その場合、本人は永遠に苦しむ。

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