意志の重要性

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かつて僕は、自身を社会人失格と認めた。民主主義は多数決に合わせることだと思い込んでいたし、それ以上のものはないと信じ込んでた。生きてりゃ嫌なことでも我慢しなきゃいけないし、夢があろうがなかろうが金のためでしょって思い込もうとしてたし、希望なんてとうの昔に諦めたと思い込んでた。長いものに巻かれたらうまく生きられると信じかけてたし、同調圧力に屈してるのではなく分別のある大人になったんだと思いたがっていた。

しかし自分の根底に流れる考え方は相変わらずクズだし、そんなクズをクズなんで呼び方して切り捨てたくて自分の一部であることを否定して切り捨てて『キレイな自分』のようなものを理想として苦しみながら生きて、さらにそれがうまくいかなくて自己嫌悪に陥るという生き方を長らくやってた時期があった。

夢よりも、志。戦う相手は他人じゃない。じゃあ、自分?いいえ、それも違う。

自他ともに個人の多様性を認めること。全く同じ考えを持つ人などこの世に存在しないのだ。同じ考えを持たないと認め合えないという思い込みからまず脱出すること。

異なる考え方をぶつけられた時に俯瞰するな。その考え方に入り込め。そして自分との違いを認めたら、せっかく与えられたその新たな価値観のメガネを使って自分を見つめ直す。

ここで一から見直すことを怠ると、直感も発想もクソもない。

『アイディアを思いつくにはどうすればいいか』という悩みを持つ人は、簡単なことを忘れてる。

発想力の源は好奇心、経験、愛、感謝、直観、共感、誠実さ、インテグリティとか。あと、考え抜くこと。

考え抜くということを甘く見てはいけない。ただ闇雲に、現在の自分の脳で考えれば良いのではない。思考力を支える思想、日々の生き方、問題対処の癖、性格、過去のトラウマ、経験を学習へつなげる過程、感受性、行動力、肉体的・精神的健康、生活環境。すべて関連する。

『外的要因』というものをコントロールできないものとして捉えた時点であなたの負けだ。外的要因をコントロールする事こそがダイヤモンドであり、だからこそレアな能力とされるのである。

やりたくないことをやるなんて、初歩中の初歩の間違いなのだ。やりたくないことをやるのは、社畜とか奴隷とかそういう類に自分を貶めることだ。それを決定付けるのは、やってる事が何か、ではない。どういう心持ちでそれに向き合っているかだ。だから、同じ仕事をしてても、その中には奴隷と自由人が混在している。

考える事は自由だ。問題は、妄想を実現する行動力だ。遠回りしてるのは『時間』の無駄なのではない。あなたの心が汚れてしまう事のほうがよっぽど問題なのだ。

金や名誉や地位や他様々な執着心を満たすためにやりたくない事をやるのは個人の勝手だが、それを自分にまで押し付けられるのは勘弁願いたい。僕は奴隷になった覚えはないし、僕の知るすべての人、奴隷と思って扱った事はないし、そんなふうに考えたくもないのだから。

すべての人は砲になれる。人格者になれるのだ。あなたがパラダイムシフトを諦めない限り。

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