ふと気がついた。
見知らぬ一歩を踏み出す時に感じる恐怖心。これは、自分が信じたものを信じ切れるかどうかを試されているのだと。
誰かがやって、うまくいっていることなら、安心して模倣できる。でも、常に新しいことには新しい条件がついて、全く同じことなどこの世に一つもない。
そして人は常に選択して生きている。選ばないことも選択の一つだ。だから、何もしてなくても選択してる。
なのに特定のことに対して人は恐れをなしたり、逃げたくなったり、武者震いしたりする。
やりたくないことをやらないのではなく、やりたいことのために超えねばならないハードルがある(と思い込んでる)。
オーストラリアでの経験を経て僕はまたひとつ、感動する心を取り戻した。
そう、この世で金のために生きることに嫌気がさしていた僕。偽善のために生きることに嫌気がさしていた僕。
常に自由な選択肢があったのにもかかわらず、選べない理由ばかり探していた過去の自分。それは、別の大切なものと常に優先度を争っていただけのことだった。
身近なことを片付けなければ、遠くのことはできない。
遠く向こうを見据えながらも、僕は遠回りをしているようで、していなかった。
全て調和していた。
シドニーから約300キロ離れた田舎町にある動物園。そこで僕は、人生を肯定された。動物達、飼育員さんたち、創業者、マネージメント、シェフの方々、すべての人たちに僕は肯定された。
闇が晴れた。そこから垣間見えた星空は、想像していたよりもずっとずっと美しくて、広かった。
僕が掴もうとしていたもの、僕がこの世界にもたらそうとしていたものは、かつて悲壮で孤独だったものから昇華して、いまや僕の生き方を包み込んで支えてくれている。
すべての皆さんに支えられて生きているということを身体で実感した。
変な宗教に入ったわけじゃないですよ。ほんとに心からの感謝が、涙とともに溢れてきた。
人生って、ほんと、悪くないじゃん。
そんな控えめな言葉をつぶやきながら、僕はすべての事象に対して前向きになることができている。
美しい心が繋がる。
あとはそれをどうやって現実のものにしていくかだ。
根拠のない自信にあふれる。
問題点さえ明確になれば、解決できない問題はない。僕はそう信じて生きてた。今まで苦しさに立ち向かうようにそれを証明し続ける旅路だったが、それは喜ばしいことに証明され続けてきたのだ。いまや、苦しむ理由はない。
自分の中に、知らぬ間に能力が育っていたことに気がついた。否定され、蹴落とされ、絶望する世界の中で自己否定と戦う日々にあった過去の僕は、いざ外の世界に飛び出してみたら、可能性あふれる様々な道がはっきりと見えるようになっていた。
すべてを俯瞰して見ると、どの道がどこにつながっているのか、よく見渡すことができる。
今こそ、世の中に僕が恩返しをする時が来たのだという確信。
長い長いトンネルの出口が見えた。それは幻ではなかった。
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