Facebookに思わず書いてしまった、「太陽系図を見ててすごいことに気がついてしまった」について。
まず結論から書くと、
- 地動説も天動説も正しい(視点の問題)
- 宇宙における惑星間あるいは恒星・惑星間の重力相互作用と遠心力の結果生み出される運動は、すべてが波で表現可能で、その周波数は調和(共鳴)している
- 同じことが意識と意識、つまり自他の概念にも適用可能である
かなりぶっ飛んだ内容だが、順を追って説明してみよう。
まずひとつ主張したいのは、人は学校で数学等を教わっていくなかで、原点という考え方に支配されやすい。
グラフ等にある原点やX軸Y軸は、不動の前提で描かれている。
しかし考えてみてほしい。宇宙の原点とはいったいどこなのだろうか。
我々は現在、太陽が不動の中心点に存在し、その周りを惑星が周回していると教わっている。そのようなイメージを持つ。
下のGIF画像の左側(Heliocentrism:太陽中心の地動説)がそれだ。
太陽中心の惑星軌道はかなりスッキリしているがために受け入れやすい。
ところでこのGIFの右側は天動説(Geocentrism)をもとに、地球を中心に太陽系の星々の軌道を描いたものだ。
ここには美しい規則性を見出すことができるが、これは各惑星の公転周期が調和している証拠でもある。
たとえば金星と地球の「結び」(太陽から一直線上に直列する位置)を左の地動説による図で記していけば、きれいに五芒星になる。
さてここで閑話休題となるが、上記GIFのどちらが正しいか、断定できるだろうか。
この図のどちらも、それぞれの星の間の距離は正しく描かれている。
これら以外にも、水星を中心とした場合の軌道、金星、火星、木星、土星、……と、各惑星を中心として軌道図を描いてみると面白い。
何が言いたいかというと、たとえば単純に太陽と地球の関係性だけにフォーカスしてみても、果たして太陽が動いているのか、それとも地球が動いているのか、それを確認する方法は究極的には存在し得ないのだ。宇宙のどこが静止状態であるのかを確認することが不可能だからだ。
光速で計測できますか?いいえ。我々が光速と定義している速度そのものが、様々な因子(重力等)で影響された結果の速度を観測しているに過ぎない。
たとえば簡単な話、太陽系自体も、天の川銀河の無数にある太陽系のひとつとして、秒速240kmで銀河内を移動している。
あくまでこれは、銀河の中心を軸として考えた場合の相対速度でしかない。
そして銀河系そのものも、銀河団のなかを移動している。
さらに銀河団は、超銀河団のなかを移動している。
宇宙はこのようにして、フラクタル構造をとっているのだ。
ところで、下の画像をみてほしい。
これはかなりデフォルメが入っているが、太陽そのものが移動しているという前提で各惑星の軌道を描くと、実際には惑星は円軌道ではなく螺旋軌道あるいはそれに近い波動をとっていることがわかる。
ただしこの図では、太陽がまっすぐ一直線に進んでいるように描かれているが、ここに疑問を呈したい。
水がいっぱいに入ったバケツを両手で持って、遠心力でぐるぐると廻るところを想像してみるとわかるが、重力や遠心力というものは、一方的に片方がもう片方のまわりを周回するのではなく、相互的にバランスをとるということがわかる。
これは相対性理論でも説明ができる。
太陽の重力は太陽系内でかなり強大であるので、他の惑星たちはほとんど太陽に影響を与えていないように捉えられやすいが、実際にはそうではない。(参考:ラグランジュ点)
お互いに引き合い、遠心力とのバランスがとれている状態なのであれば、その重力の均衡したポイントが軌道の中心と考えることすら可能だ。
ともかく、天動説も地動説も、地球と太陽どちらかが固定されているという思い込みによって得られる錯覚であるということができる。
そうすると、実際にはどちらが動いているのかということは問題ではないということがわかってくる。
これは主観の問題なのだ。人は客観をつくるとき、観測点をつくる。観測点もまた主観である。
この時空を重力マップで表現できるとすれば、興味深い表現に驚くことになるだろう。
重力と距離は密接に関係している。なぜなら時空は歪むからだ。時間そのものの考え方にもヒントがある。
すべての存在を相対的位置関係で捉えたとき、地動説や天動説という考え方は無意味となる。
これが面白いのは、人間と人間という関係性を、脳のとらえる便宜的なフィルターを逆アセンブルしてとらえたときに、同じ関係性になっていることに気がつく。
星と星の関係性は、人と人の関係性と相似している。つまりここも、フラクタルなのだ。
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