生業【なりわい】の未来(TOWNSHIP LABO とかいな会議への寄稿)

学生時代からお世話になってきたJR津田沼駅前の書店「BOOKS昭和堂」が閉店と知った。

近年の活動を通じ、朧げながら感じてきた「生きることと生業【なりわい】を立てることのギャップに対する違和感」への答えが、上の記事を読んだあとにより鮮明に見えてきた。

これは、とかいなか食堂が目指すものと深く関わりがある。とかいなか食堂が今後どこに向かおうとしているのかについて、個人的な思いを皆さんに知っていただくためにも、記しておくべき時期が来たのだと思う。

同様に、書店の動機も様々だ。執筆者の「伝えたい想い」に共感して経営するのか。それとも出版社の「売りたい」という想いに共感して経営するのか。

これまでの社会は、想いとお金が共存できる時代だった。しかしこのふたつは、共存できない時代がやってきた。

たとえば、執筆者の「伝えたい想い」だけを純粋に、消費者の財布を傷めずに実現する場所がある。図書館だ。そして書に込められた想いを人に伝える仕事がある。図書館で働く司書の人たちだ。

社会が熟成するということとは? 先進国とは?
その答えは、無償で手に入る「人類が長い歴史の中で勝ち取ってきた福利」の範囲を広げるということだとわたしは思う。

生きるために必要なものの無償化。

衣食住が無償で手に入る世界があるとしたら?
プラス、医療が無償で手に入る世界があるとしたら?
プラス、教育が無償で手に入る世界があるとしたら?

ベーシックインカムという言葉が登場してしばらく経つが、これは必ずしもお金という形で支給されるべきだとは限らない。むしろお金で支給されてしまうと、人の生活のなかでベーシックな部分に使われるのか、それともプラスアルファな部分に使われるのか、境界が曖昧になってしまうという大問題がある。

本来、税金はこのような循環を起こすために存在する。
ところが適切に税金が使われていないことについていくら政治を批判しても、現実は変わらない
だったら政治に頼ることなく、自分たちでどうにかしていくしかないのではないか。
それを、地域活動という。
そんな地域の自治権主体性に対して、中央集権的な思考による横槍が入ったりする。
この流れを阻害する法律が立つ。これを、悪法と呼ぶ。

戦後の貧しい時代において「働かざる者食うべからず」は、まかり通ってきた。
しかし、わたしたち人類の文化的成長、社会的成長のためには、この言葉をいつまでもまかり通らせているわけにはいかない

生活の豊かさを支えるものが供給されていくなかで、無償の範囲を広げることにどんな意義があるのか。それは、ベーシックを固めたその先にある世界のために、人々が安心してチャレンジできる環境を、社会単位で準備していくことだ。

本が大好きな書店の店員が、より多くの人に本を読んでもらいたいとしたら。
本を無償で提供することだ。
Kindle Unlimitedのもたらした事実。読まなかった本を、興味だけで自由に読める。
「読みたいけど高額だから読まない」「お金がもったいない」と、読む前に除外される必要がない。
図書館で本を選ぶ行為に近づいてきているのだ。

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