入院というアクシデントのおかげで、今月はヤバかった。何がヤバかったかって、健康とお金です。
5月に縁あってお仕事を紹介していただいてから、無収入で突っ走った約1年の間続いた金銭的な危機は終わりを告げ、ようやく財政的な安定を手に入れようとしていました。普段から『稼ごうと思えばいつでも稼げるからこそ、ギリギリまで無茶してる』と豪語しておりましたので、有言実行するだけの話だったわけですが、そこに長期入院という不測の事態が加味されて、まさに自分を試される事態になったのです。
退院後、出来るだけすぐに仕事復帰しましたが、入院期間中は当然無収入であります。働いたからといってすぐにお金が入るわけでもないので、収入安定するのは早くて1ヶ月。実際には2ヶ月近くかかりました。
なんとか報酬を得てホッとしているところですが、昨日まで財布の中には500円もないというギリギリの状況でございました。
それでも若い頃に家を飛び出した時に比べたら、雨を凌ぐ家もあるし風呂にも入れるし、かなりマシなのですが。
兎も角、自分の行ったことに対する責任を取れそうな目処が立ちつつあることは、私的に嬉しいかぎりでございます。
幸いにも未来の展望は明るく、ようやくあちこちで噛み合ってなかったギアが噛み合って回り出したという感覚があります。
脳がもつスコトーマとかコンフォートゾーンといったフィルタをうまく認識して、状況を変えるために『いままで選択したことのない選択をする』勇気の持ち方を習得し、自分にしかわからない自分自身へのチャレンジを何度もクリアしてきました。これは大きな自信に繋がっています。自分が信じたことを信じた通りにやってきたことで、大きな経験値を獲得しました。
この2年間、自分が目指してきたものは一体なんだったのか、ゆっくりと自分の中で消化する時間も得ました。
そこで新たな環境を通じて新たなことに『ごく自然に』巡り会い、新たなことへ挑戦することを挑戦とも思わずに遂行していると、予期しない瞬間に、新たなイメージを得ることがあります。
1日の終わりには人生のあらゆる経験と出会いと今まで生かされてきたことに感謝しつつ明日が訪れることを期せず眠りにつき、翌日眼が覚めると、今日も生かされたことを知り、新鮮な心持ちで1日が始まります。
毎日それを繰り返すことが当たり前になってきました。
信じたいことを信じるために修行をしているような感覚になります。
毎日新たなる発見と理解が訪れるのですが、昨日から今日にかけては、過去にやってきたことが失敗に終わらないための新たなる道筋が見えてきました。
方法を変える。けれど目指しているところは同じ。
周りにいる人も変わる。1人でもやり続ける。
人と人の巡り合わせは、自分でコントロールすることが不可能。
自然に任せた巡り合わせにもきちんと意味がある。
知るということは不可逆であり、縁は切れることを恐れれば切れるし、恐れなければ切れない。
通過儀礼のように様々な経験を通し、やはりお金というものは活用すべき道具であり、集めることを目標にするものではないと理解しました。
いま自分はお金を必要としていますが、それは自分のためではなくて、世の中のために実現したい事業を立ち上げたり運用するためにかかるお金であり、自分自身の個人的な目的のために必要なお金なんてたかが知れています。
車を取り戻して、毎日好きなものを食べて、必要なものを買い、行きたいところに行きたい時に行く。それだけならどんなにかかっても大した金額はいらないです。しかし自分が実現したいことを世の中に実現したり残したりするためには、いま頭の中にあるものすべてをやるとしたら1兆円あっても足りない。
なので、自分が自由に使えるお金がいくらになったらこれをやろう、というプランを少しずつ明確にしていってます。
1億円あったらこれをやろう。
10億円になったらあれをやろう。
100億円使えるなら……
といった感じに、事業のビジョンを立てる。
世界は広い。人は世界中にいる。
自分が思いついたものが世界中の人を幸せにするポテンシャルを持っているのならば、それを日本だけに限定しておくのはもったいないし、理不尽だと思います。
良いものは、世界に広げる。
やりたい事は次々と思いつき、自分だけではやり切れないことは明白です。だからアイデアはどんどん人にあげてしまう。
僕よりも効果的に実現できそうな人がいたら、その人がやったほうがいいですからね。
でも『いいね』というだけで実際に行動に移さない人が大多数です。そもそも自分が実現したいと思っていることの良さは、自分が一番理解してるわけですから、当然といえば当然です。自分がやらなきゃ実現しないことなら、自分でやればいいだけのこと。
僕がやりたいことのうちのいくつかは、事業資金に100億、1000億単位のお金が必要になることもあります。
今の僕がそれをここに書いてもおそらく、夢物語と笑われるだけでしょう。
今までも散々笑われてきましたし。
「人生そんなに長くないんだよ、自分の年齢を考えろ」とか、「理屈はわかるけどそんなこと現実問題として出来るとは思えない」とか、「その前にあなたには足りない能力や経験がある」とか、「やりたいならもっと努力しなきゃダメだ」とか、その手の言葉は聞き飽きるくらいたくさん聞いてきました。全く意に介してません。
なぜなら、僕はどこまでできるか自分を見届けたい。
そしてなにより、それらが実現したことで笑顔になる人たちのことをイメージするだけで、心がフワッと軽くなり、僕自身が笑顔になれるからです。
ひとつひとつのやりたいこと。
あることは事業として結実するかもしれないし、あることは非営利団体になるかもしれない。またある別のことは匿名のまま実現するでしょう。
この世はでっかい宝島。
そうさ今こそアドベンチャー!
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