2019年も残すところあと2ヶ月半。
例年よろしく今年も様々なことがございました。
2019年のQ1-Q3に起きたこと
- 1月:TOWNSHIP LABOを畳んだ
- 3月:暗中模索・南会津との出会い
- 5月:心筋梗塞で死にかけた
- 6月:退院して、個人事業を再開した
- 10月:会社を作った
細かいこと書けばもっと色々ありましたが、きりがないので。
僕にとって2019年は、温故知新と不死鳥のイメージです。不死鳥については今年だけではないですが。
基本的に、同じところに留まっていられません。
でもそんな中で、ひとつだけ変わらないものがあります。それは僕にとって大切な、命とのリレーションシップです。
人と書かずに命と書いたのは、人だけじゃないなあと思ったからです。ウチでゴロゴロしてるにゃーちゃんも、窓辺のサボテンたちも、太陽や地球や月のように大きな存在も、いま住んでいる街の優しいみなさんも、家族も友人たちも、そして離れたところで未来へ向かって全力疾走している大切なあの人も。
理解しあえなくて別離を選択した数多くの人たちも。僕は今までに出会った人たちの全てが、記憶という形で僕の心の中のどこかに居場所を作って住みついています。
それでは、冒頭に列記した各イベントの所感に進みたいと思います
1月:TOWNSHIP LABOを畳んだ
2年ほど続いたこのプロジェクトにおいて、僕は未経験の事態を数多く経験し、大きな学びを得ました。目的達成において何が効果的で何が足りなかったのか、深く分析して整理するのに半年かかりました。
TOWNSHIP LABO(以下、TSLと表記)の活動を始める前の僕は、様々なタイプの企業や個人事業を通じて経営や組織運営のあり方について学び、時に自分の持つ理想像とのギャップに苦しんだりしながらも、僕の中には「理念」と呼んで差し支えないひとつの大きな美しいモデルが育ちました。
思想が固まれば、次は実践となるわけで、そこで僕が立ち上げたのが後にTSLとなるリレーションシップの革新像の具現化へのチャレンジでした。
ここで僕は大きな勘違いをしていました。世の中には現代社会や組織における矛盾や問題点を糾弾する意見に溢れています。インターネットが普及してから、そのような問題意識を提言するコメントに触れる機会は圧倒的に増え、みんな同じようなことに問題意識はあると思っていました。
ところが、いざ蓋を開けてみると各問題に対して深く調査した上で自分の意見を言っている人はとても少なかったです。情報不足による誤解をベースに訴えているようなケースや、仮定を前提にして間違った結論を導いているようなケースに溢れており、情報過多に踊らされるとはこういうことか、と痛感しました。
しかも自分で確信を持っている意見でないのにもかかわらず、その意見を理不尽なほど頑なに守ろうとする人の多さにも驚きました。そのような方々と話をするとき、相手が信じたい前提を突き崩すような議論をしようとすると、相手に拒否反応が起きます。その反応こそが、ひとつの側面から見た意見に過ぎないものを個人のアイデンティティと重ねてしまっている証拠です。簡潔に言えば石頭とか盲信ということになります。
つまりスタート地点は、僕が実現したいものを共有して共感者を集めるところからではないと知ったのです。
共感の前に必要なのは、同じ深さまで掘り下げて話をすること。その前提には、質のよい情報を共有してそれをベースに考える土壌を作ること。そのまた前提には、それらの情報を理解するために必要な経験と知識を構築すること。
氣の遠くなるような試みでしたが、立ち止まることができなかったのは、いつもの僕のことです。
TSLの活動、特に外面的に見え易かったinfo.caffeの活動を見て、金持ちの道楽だと思う人は多かったと思います。ほとんどの人がそう思うと思います。稼ぎ度外視して構築しようとしていました。
ところが実際にはそんなことはありませんでした。僕はそれまで所属していた企業を辞め、継続性が立ち上がるのが先か、死ぬのが先かという状況にあえて自分を放り込みました。結果、僕は個人的に数百万の負債を抱えることになりましたが、僕に使える『貨幣的な信用』は全て使い果たしてみることができて、これは僕にとってお金には換えられない大きな収穫でした。
何事も話に聞くのと実際に体験するのとでは全く異なります。
僕はこの活動において、2年間に1500人近くの人と出会いました。
TSLの活動(カフェやその先にある食堂)については、事業継続性を確保できる間違いのないストーリーと根拠がありましたが、結局それを理解してくれていた人は1人もいませんでした。現場では全く理解してもらえなかったし、理解しようとしてももらえなかったのです。それは現場が悪いのではなくて、僕のアプローチが、やろうとしていることの革新性の高さに対して未熟だったのだろうと思います。ただ、僕のパートナーや親友は「理解できないけど、おまえがそういうならそうなんだろう」と言って僕の話を聞いてくれましたが。
ただ根拠もなく新しいことに飛び込む人もいますが、僕は周囲の人の評価とは裏腹に、確実かつ着実に物事を考えて、理論上成立し、かつ実行可能であることにしか手を出しません。個人的なリスクだけの場合は多少の無茶もしますが、それも失敗の可能性を承知の上です。
結果的に行き着いたのは、僕の「成功への確信」の理由をきちんと説明しようとしても世の中の人はそんなことに興味はないのだろうということです。もし僕がスティーブ・ジョブズのような有名人だったら、より多くの人が僕のいうことに耳を傾けたでしょう。今の時点では誰も聞いてくれはしない。
昨日、親友の1人と映画「イエスタデイ」を観てきました。コンテンツが良くても伝わるためには様々な障壁があることや、伝えたいのは内容で、誰が伝えるのかは問題ではないということについて改めて感じ入りました。
1月にTSLを畳んだのは、仲間集めとの決別です。仲間を集めようとすること自体が、自分自身の信念に対する冒涜だと思いました。また、仲間に頼ろうとする弱さだとも思いました。伊東さんに言われた「篩は動かしてはいけない」を体得した瞬間です。
誰にも理解されないばかりか、無理解が原因で組織が意図しない方向に舵取りされてしまう問題を解決したい。しかし僕はその解決策として過去多くの人がやってきた「トップダウン経営」はしたくない。
どうしたらそれが可能なのか。どうしたら真のホラクラシーを構築して、すべての参加者が対等で公平な社会を作り、多様性を基にした自由と革新のコミュニティを実現することができるのか。
1月の時点で、まだその答えは出ていませんでした。
3月:暗中模索・南会津との出会い
TSLの活動と決別した僕は、川口さんからもたらされた偶然のきっかけにより、福島県南会津町との関わり合いを持つようになりました。
何度も南会津を訪れ、いろんな人に会い、話を聞き、話をしました。
ここで、品川や君津とは全く違う課題を抱えた人たちとの交流を経て、新しいアイデアや学びが湧き上がりました。
しかし何かが足りない。芯にある何かが足りない。
頼りになる仲間は居なくても構わないけど、どうしてみんな他人任せで受動的なのだ。そんな気持ちで、それでも前に突き進もうとするエネルギーは僕の内側から勝手に溢れてくる。
先が見えないまま前に進んでいる苦しい時期でした。
そんな中、元上司で友人の迫さんから声がかかり、静岡県川根本町における町おこしの現場を見る貴重な機会もいただきました。それをきっかけに、破綻しかけていた僕個人の経済を立て直す機会となる仕事の話もいただいたのです。
立ち止まっていたら押しつぶされそうな毎日でした。狭く暗い闇の中でどうにかして視野だけは狭くしたくないと、足掻いていました。
そんな中、大切なパートナーが離れて暮らすことも決まり、今思えば僕は多くの人に見守られていたのですが、あのときは孤独感でいっぱいで、自分自身に負けたくない思いだけが僕を突き動かしていました。
5月:心筋梗塞で死にかけた
春になり、南会津にも遅い桜が咲き、とうとう未来に光明が見え始めました。
様々な障壁を乗り越えて、ようやく見晴らしの良い高台で装備の再点検といったところで、それは起きました。
確かにあの頃の僕は体の不調に耳を傾けていませんでした。朝から夜遅くまで動き回り、次々と浮かび上がるアクションを整理してこなし、さらに経済事情を回復させるための仕事も始めていました。
ある5月の朝方、心筋梗塞を起こして救急車で運ばれました。
「またやっちまった。死にかけたのはこれで何度目だろうか」そんな思いもありましたし、今回こそ本当に最後なのだろうという覚悟もありました。臨死体験もしました。
入院して僕はようやくアクセルから足を離しました。
ここから先は、まず過去の精算をしよう。そう思ってた矢先に倒れたので、入院中に様々な事柄について心の整理や物事の優先順位の整理をしました。
死ぬ前にやっておきたいことと、やれなくても諦めのつくもの。
6月:退院して、個人事業を再開した
退院してしばらく、何もしないことにしました。というか、やろうと思っても何もできなかった。
いろんなことを考えたり、何も考えないでボーッとしたり。
迫りくる危機の何が本物の危機で、何が見せかけなのか。
結局のところ、人は死を覚悟した時点で怖いものは何もないということです。
朝、目が覚めることがどれだけ嬉しいことなのか。ご飯が食べられること。屋根がある家があること。自分の足で歩けること。人に必要とされる経験と知識と知恵があること。にゃーちゃんが元気でいること。僕がいなくても世界は回ること。
楽しさの次元が変わりました。
死にかける経験をするたびにそれが洗練されていく、と思いました。
自分の中にあった汚れたものを捨てるというのは、難儀なことです。
僕はまたひとつ、自分の殻を破ったと思います。
そして今まで思いつかなかったことが次々とまた湧き上がるようになりました。面白いアプローチについて考えを巡らせ、絵を描いたりヨガをしたりしながら計画を立てていく過程にありました。
10月:会社を作った
様々な状況がすべて調和して、会社設立に至りました。奇しくも僕の誕生日に生まれた会社です。
ここを基軸に、今僕の頭の中にきちんと整理されて置かれている箱を順番通りに開けていくだけ。それで今回はチャレンジするに相応しいリスクを楽しみながら、前に進むことができる。
ここまで洗練させるために、過去の全ての経験が欠かせなかったことが手に取るようにわかります。
神様は人の願いを叶えるためにいる、という言葉は嘘ではありません。ただ、叶うまでの道筋までは、きちんとそれも含めて願えるものでないのならば予想外の展開の連続になるというだけのことです。
神様は、空にはいない。
わたしたちひとりひとりの、心の一番奥底にいる。
2019年Q4から2020年に向けて
これからの活動はさらに革新と遊びに満ちたものになることを予言しておきます。通過儀礼は終わりました。ここからは楽しいことがたくさん待っています。
2021年にはみなさんがあっと言うようなものをお見せできるはずです。そして僕はもう日本にはいないかもしれません。
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