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理屈だけではここから先には進めないことを知っていた。どハマりってやつだ。出口があることはわかっているから探索をやめなかった。世界ではまだ多くが「あんなやり方」の先に未来があるって信じてる。笑えるのは優越感依存症で他人と比較して優越感のほくそ笑んでいる矮小な連中は、このやり方によって得する人間がいるだとか様々なものに縛られていることを解放する必要があるだとか説くことで解放されたようなつもりでいるらしいが、それがどういう束縛的結果を導くかについて無理解であり、事実と妄想の区別もできないらしい。人々の呼ぶ愚民に盲信を与える存在というものはオカルトでありオカルトではない。そこにはほくそ笑む悪人がいるわけではない。そうした絵に書いたような悪人は小者であり世の中に影響を与えない。こんなことで得をしている社会が二極化の原因ではありえない。この構図の説明は我が国でも太古から文献にあるもので、今ここで起きていることはそんなに生易しく理解できるものではない。これが次の仕掛けを理解するために必須のヒントだ。理解の窓も設けずに浅い読みを印籠のように振りかざし、それを有難がる信者に囲まれてご満悦な連中との会話にはもう飽きた。単純化はこのフェーズでは起き得ない。ライプニッツが称したモナドに窓が無いと言われ続けてきたのは、時代がその視点を越えられなかったからだ。悪意に悪魔的なアイコンを与えてしまえば本質は何も見えない。問題は悪意にはないのだから。善意と悪意という言葉をまるで理解していないことを理解していない。振りかざす表層的な空虚がイデオロギーそのものだ。80億の意思が渦巻くこの世界を理解するためには80億の混沌を読む力が要求される。混沌に意思などない。あるように見えるとすればそれはEsと繋がらないためにできる哀れな壁が見せる幻だ。我々は神々の世界に生きているわけではない。