行き詰まったときの苦悩は必然だが必要ではない。苦悩から解放されると想像と記憶のコラボレーションが始まる。五感に働きかけるあらゆる感覚が記憶や創生につながることを実感できる。
それを人はフロー状態と言うらしい。確かに浮遊感に溢れている。解き放たれた呪縛が何であるのかさえ知らぬまま昇華して行くこの感覚は何物にも代え難い。想像の空間には原野があり、山があり、海があり、空があり、音があり、匂いがあり、味があり、そして色がある。
先日友人を訪ねて千葉県君津市を訪れてからまたバイオリズムが変わった。何かまた足を引っ張る何かが消えて無くなったかのように、意識に流れ込んでくる美しい思考の雪崩が僕の好奇心を様々な角度から刺激する。
全体を俯瞰してみれば己の懸念などすべて荒れ狂う海を覆ううねりの頂点を一瞬だけ飾る泡のように消えてゆく。
人が口にする、孤独というものについて考えてみる。寂しさと孤独は全く違うオリジナリティを持つ感情だ。なぜ人は孤独を意識するのか。ある次元に限定するならば人は皆生まれながらにして孤独であるし、異なる次元で語れば人は決して孤独たりえないのだ。
存在しないものを恐れる愚を犯すよりも、存在するかどうかを確認するために身体を使うほうが有意義である。
そんな局所的思考などどこ吹く風かと言わんばかりに、大局は流れてゆく。無限の要素を確定させながら目の前に現れては永遠に去ってゆく。
すべての機会が一期一会であり、特別視する必要はないのだ。
己の世界を広げることをためらう必要はない。
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