築き上げるという幻想

何事においても『築き上げる』という発想は人の毒にこそなれど支えにはならない。

人にはそもそも築き上げできたものなど存在しない。そんなものが見えているのならばそれは幻想であり、その幻想を他人に納得させようとするならばそれは悪質な押し付けである。


。親しき中にも礼儀あり。人と人の間には、どんなに関係性が深かろうが永い信頼関係の歴史があろうが、たったひとつの不義理でそのような幻想は崩れ去る。違う視点から言い方を換えれば、信頼関係はその瞬間瞬間に存在するものであり、次の瞬間の信頼を決定付けるのはいまこの瞬間の己の意思による行動の結果である。行動しないことによる無害な関係性はただの独り善がりな揺り籠である。


。金は積み上げるものではなく天下の回りものである。流動性のない金は即ち交流の欠如である。金の致命的な欠陥はいかなる知恵を持ってしても塞ぎ切ることはできず、課題の置き換えが起きるだけである。


。知とは己が行動によって得た経験から導き出した己だけの法則によって成り立つ智慧のことであり、記憶した瞬間に陳腐化という腐敗の始まる他人の言葉を借りる知識のことではない。


欠陥を知らぬのならば語ることは何もない。疑問に答えるのではなく自ら設問することが肝。そして探求から逃げる者にも語ることは何もない。

積み上げるという幻想は、その要素一つ一つへの子細な観察を阻害する。これは己や己の持つあらゆる関係性への冒涜である。

幸いなことに僕の周りの一部の人にはそれが伝わり、別の一部の人にはそれが伝わらない。どちらも幸いである。万人に礼賛されることは望まない。ひとりも理解者がいないことこそが、未踏の地の証である。

恐怖を抱える人は外部に目がいきすぎて内観が足りない。己にすべての答えがある。