ある少年の話をしよう。
彼は正直者で、正義感の強い子だった。東北地方の小さな町に生まれ、音楽が好きで、友人たちとアマチュアロックバンドを組んで、ギターを弾いていた。父親は大工で、いつか父親のような立派な大工になりたいと思っていた。
彼は18になり建築関係の仕事に就いた。地方の仕事で地元を長期間離れることもある仕事だった。
19歳のある週末、彼は仕事で九州のある都市にいた。年の近い同僚と居酒屋で飲んで盛り上がっている最中に、地元のグループとちょっとしたことで諍いになった。相手グループは店の外に出ろと挑発し、正義感の強い彼は、店の外に出た。彼は相手グループと喧嘩になったが相手は喧嘩慣れした連中だった。彼は殴られ蹴られ、意識を失った。相手グループはその場から去った。
それから彼は、意識障害を背負って生きることになった。うまく話ができなくなり、時おり記憶をなくす。
まともな仕事には就けなくなった。大工の仕事をやりたくても、高所は危険だからと反対された。
僕が彼と出会ったのは、とある就労支援施設。
僕は、とある可能性を探っていた。知的障害者・身体障害者・精神障害者といわれている人たちが、情報処理の技を身に着けて、それを生業にして生きていくことができるのではないだろうかと考えていた。
僕には、ひとつの結論があった。
好きこそものの上手なれ。
あるひとつのスキルでプロとして認められるだけの技を身につけるために重要なのは、本人のやる気だ。それも、「ある程度重要」なのではなく、むしろ「それだけが重要」と言っても過言ではないということだ。
健常者であれ障害者であれ、コンピュータの面白さに食らいつく可能性がある個人を見つけたら、必ず花咲く。
僕はそれを実際に証明したくて、僕の話に前のめりな興味を示してくれる若者を探していたのだ。
それが冒頭に書いた彼だった。
コンピュータの知識は一般レベル。彼は僕に聞いた。
「コンピューターって楽しいですか?」
僕はその質問で彼に着目した。なぜなら多くの人は
「コンピューターって難しいですか?」
と質問するからだ。
僕はこう答えた。
「他の人にとってどうかは分からないけど、僕には最高に面白いものだよ。長年やってるんだけど、飽きたことがないんだ」
僕は、彼の瞳の輝きが増したのを見逃さなかった。
あれから1年以上の時が過ぎた。
僕は彼にまだ未来を見せてあげられていないし、彼も期待していないかもしれない。それでも僕は今も、あの町から離れたこの場所で、彼のことを忘れていない。
今の僕にはまだ足りないものがたくさんある。
それがどうしたら足りるようになるか、そのためには今なにをしたらいいのか。
はやる感情を抑える。
焦っても意味はない。ゆっくり、ゆっくり、ひとつひとつ。
そうすれば、いつか必ず手が届く。
彼は今も、たまに僕の記憶から現れては、僕を励ましてくれる。
僕の中には、そうやって励ましてくれる人が、たくさんいる。
僕が走る理由はこれだ。
僕が諦めない理由はこれだ。
なにかを背負っているのではない。
心から好きなことをやるのが人生だ。
僕はこういうことが好きなのだ。
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