昨日のキューブカフェ荒川は、たくさんお客さんが来る予感がしてましたが、的中どころか予想以上。
あのスペースが人であふれ、一時的に席が足りなくなるほどでした。
荒川区の地域活動サロン「ふらっと.フラット」を切っ掛けに来てくれている方、Facebookのグループ「あらかわライフ」の記事を見て来てくださった方。そのほか看板を見て来てくれた方、常連さんの口コミなど、あらゆる方向に、地に足をつけて広がっている感覚です。
Facebookの「あらかわライフ」の記事がきっかけでたまたま知りあった三ツ木さんも来てくれました。三ツ木さんとは同じどしの1か月違いの誕生日で、会社名が似てて(シーキューブとキュービック)、荒川繋がりも品川繋がりもあり、さらに昔働いていた会社の同僚が三ツ木さんの元同僚で、子供の頃からパソコンを触り始めたのも同じで、企業勤めの頃にやってたことまで似てて、独立した経緯も共感できるものがあるという共通点だらけの奇遇です。
いちばん混雑してる時間に来てくれまして、挨拶もそこそこに溶け込む三ツ木さん、ふと見たら僕に相談しに来てくれていたお客さんの相談に乗ってくれてました。
少し落ち着いたのは夕方の5時。あっという間でした。三ツ木さん、「僕は無償で人に教えたりしない」なんて言いながらしっかりと無償で教えてくれてましたよ!
人が教えているところを見るのはとても貴重な機会です。自分とは違う教え方の中に大きなヒントがたくさんあります。
ドリンク付き100円、僕は1円も取らないので実質無償でやってますが、お金なんてもらわなくてもお金では買えない大きな価値をたくさんいただいてます。
「友達にね、このカフェの事たくさん宣伝して来たよ!」と嬉しそうに語ってくれる方。
「ここまで大きくして、この先、林さんがこれをどう持っていくのか見届けたい」と言ってくれる方。
「そんな先のことは考えてない。流れのままに行くだけ」と答えたら、そんなはずはない、林さんは考えているでしょと言われました。
ちょっとだけ自分に問うてみた。そう、僕には行きたい場所がある。見たい景色がある。けれど今はそれを語るべき時ではないということも学んだ。
Small moves, Ellie, small moves.
いつか叶える目標に向かってしっかりと、一歩一歩進んでいる実感がある。
未来が一体どうなっているかなんてまだ決まっていない。未確定のことは、予想するよりも自分の望む形にする方が楽しい。そのために必要なのは大きなビジョンと、目の前のこと。
策に溺れていては決して勝ち得ない大きなチャレンジをしていることは、自分でもわかっている。
今までやって来たことを繰り返したって面白くないんだ。新しいことにチャレンジしたい。そして、まだ誰もチャレンジしていないことに。
挫折は、より大きく物事を捉えるためのチャンスだ。
最終的に信じられるものは自分しかいなくなる。それか、神を信じることとなんの違いがあるのか? その違いがなくなった時こそが、自分がなんのために生まれて来たのかを知る時だ。左右のフォーカスが同期して、ひとつの形を描き始める瞬間だ。
誰にでもその瞬間を享受する権利がある。それがこの世界の素晴らしいところだ。巻いた種は必ず花開く。それが己の種から咲いた花なのか他人の種からなのかは問題ではない。たった一つの花だけでは、花畑は作れないのだから。
諸君見ててくれ。ここから先、まだまだ驚くような展開を目にすることになる。
そして実現していくごとに、まさかそこを見ていたとは思わなかったと、何度も言われることになるだろう。片鱗しか見せていない今、それを言うには早すぎる。理解できない人が多いのも当然だ。
僕は遠く遠く、地平線の彼方を見つめてる。同時に、しっかりと足元も見ている。
僕のすべてが語りかけてくる。うまくいかないはずがない。だって僕はこれをやるために、ずっと1人で歩いてきた。様々な人と出会い、道を分かち、それでもなお、僕は僕の向かう先に、僕が望んでいるものがあると信じることをやめられなかった。
ギラついてる人、という言葉を三ツ木さんが口にした。そう、ギラついてる人、たくさんいる。
金というただの道具。ITというただの道具。それらに固執し、依存し、溺れる人が後を絶たない。金を否定しているのではないよ。金は道具です。道具は正しく使わないと怪我をするだけ。
人の可能性を蔑ろにするのはもうやめないか?
自分を信じることができなければ、タインを信じることなんて決してできない。
キラついてる人。卵を割ったら、中身が空っぽだったなんて、そんなものにどうして価値があると言えるのか?
本物の価値とはどういうことなのか、僕なりの理解をすべて世の中にぶつけている。ただそれだけで、世の中はうまく回る。
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