Seasons

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西小山の喫煙専門喫茶店の窓際の席には小さめの鉢植えに収まった観葉植物が並んでおり、この時間になると差し込む西日が奇妙な影をテーブルに描く。指に挟んだタバコから立ち上がる煙が、窓ガラスとその向こう側にある景色と観葉植物を背景に、何もない空間をさまざまな文様で踊る。

あまり喋らない方が得をする状況は少なくない。少なくとも僕は喋りすぎなのだ。本来僕は口数が少ない方で、主張するよりも頭の中の世界で遊んでいる方が好きなのに、人と会ったり電話したりすると結構喋る。

それは本意ではない、と自分の中から声が聞こえた。雰囲気とか、相手の感情とか、流れみたいなもの。僕はそれに合わせてしまう癖があるらしい。あまりにも自然に合わせてしまうので、僕がお喋りではないなんて思っている人はほとんどいないのだろう。

好きなだけ喋った後、心地よくセッションを終えるのは常に相手なのだ。

さまざまなことが保留のままでもストレスを感じなくなった。とはいえストレスがなくなったのではない。僕がストレスに強くなったのか、鈍感になったのか。表現の問題。

窓の外にはフリーマーケットのお店がたくさん並んでいて、ペンダントや写真立てや小物入れなどが並んだカウンターに、人が疎らにいる。

いったい何をしたいのか、とか。損するとか得するとか。そういったことにはあまり興味を持てない。

昔からそうだったわけではない。僕はこうして街中を流れる時間とは疎遠な生き方をしていた時期が長くあった。自分が住んでいる町は、朝の眩しい陽光があるか、ないか。暗いか、暗くないか。風が強いか、強くないか。雨が降っているか、いないか。満たされぬ好奇心を満たすお店があるか、ないか。

街にはそれぞれの時間の流れる速度がある。この辺りで時間の流れが早いのは品川、渋谷、恵比寿、目黒。武蔵小山も年々時間が早くなっている。戸越銀座や西小山や中延の時間はもっとゆっくりしている。

旅に出ると心がゆっくりする。自分が自分でなくなり、映画を見ているような感覚になり、やがてこちらが本当の自分であるという感覚に置き換わり、自分というものがどれほど曖昧な定義なのかを思い知らされる。

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