ひとつ何かを乗り越えると、いいことがどっさりと訪れてくれる。そんな日々です。
目の前の小さなこと、それは勘違いではありません。氣になることがあればそれをきっちりとこなしていくことによって、日常のバランスが手に入ります。
祟る神あれば救う神あり。
波には山と谷が必ずある。
現世に居る限り、その全てをきっちりと受け止めて、流れに身を任せること。
そしてどんな状況においても、明るい希望を捨てないこと。
とても簡単なことです。
今日は、20年前に働いていた会社の同僚と20年ぶりの再会。
5時間半、話に花が咲きました。
当時の自分の再発見がたくさんありました。
僕があの会社を去ることになった時、僕は罪悪感でいっぱいだったと思い込んでました。
でもそれは現実の誤認識でした。自ら記憶を書き換えていただけ。僕はあの時、悔しかった。心から悔しくて涙すらこぼしてしまったことを、再会したMさんに思い出させてもらいました。彼女は部署も違いましたが、僕の仕事をきちんと見てくれていたのです。
僕が会社を去らずに済むように、社内で声を上げてくれたのも彼女でした。
そうだった、、、いろいろ忘れてた記憶が蘇りました。あのとき、社内のあちこちから、僕が辞めることを反対する声が上がったんだった。僕はそれをとてもありがたく思いながらも、自分自身が果たしてそんな価値のある結果を残せていたのか、自分自身への疑問を持っていたので、自分のできなかったことで己を責めることばかりしていました。だから皆さんのそうした好意を素直に受け止められなかったのかもしれません。
当時の自分を今更ながらに誇りに思います。
あの会社を辞めることになった時、僕の上司であるN部長は、僕を会議室に呼び、今まで見たこともないような真剣な顔で、僕に頭を下げました。そして言いました。
「林さん、申し訳ない。僕の力が及ばなかった。林さんはこの会社にとって必要な人だ、今までどれだけ貢献してくれたのか説明して、辞めさせるよりもむしろ正社員として迎えるべき人だと、僕なりに精一杯の主張をさせてもらったけれど、僕にはこの決定を変えるには力不足だった。本当にすまない」
僕はそんなN部長の言葉だけで報われました。胸がいっぱいでした。
そしてN部長は、僕が再就職先に困らないようにと、A4の紙いっぱいに僕が残した実績を書いた推薦状を何枚か印刷して、名刺まで添えて、僕に渡してくれました。
「これくらいのことしかできなくて心苦しいけど、もしこれが役に立つなら使ってください」とおっしゃいました。
それは確かに、役に立ちました。
そしてN部長は僕に1冊の本をくれました。彼自身による書き込みがたくさんある、一眼で大切にしてきたことがわかる本でした。そのタイトルは「大きく考えることの魔術」。
僕はこんな部長の元で働いていたからこそ、成果を出すことができてきたのです。僕は正直、サラリーマンとしてはとても扱いにくい部類だと今ではわかります。でもN部長は、僕の本質を見抜いてくれていました。自由にチャレンジさせてくれて、困った時には常に味方でいてくれて、決して甘やかすことがない代わりに、きっちりと上司としての責任をとる、そんな人です。もちろん今でも交流は続いています。
そして今日感じたこと。こんなハートフルなことを思ってくれていたのは、N部長だけではなかったということです。
Mさんは言いました。
「そりゃそうよ。わたしは林さんの人柄を見てたから。そうじゃなかったら今日こうしてまた会おうなんて思わないよ」
僕がどうしてこんなことをここに書いているのか。僕は伝えたいのです。とにかく誠実であること。それは、知識や経験がなくても、誰にでもできることです。手を抜かずに一所懸命であること。曲がったことをしない勇気を持つこと。それは、このようにして後から自分に素晴らしい体験として、かならず還ってきます。だから、信じることを諦めないでほしいのです。
僕がいま、毎日の生活において素晴らしい人たちに囲まれているのは、照れくさいような感じもありますが、間違い無く自分がやってきたことの結果でしかないと、素直に思いました。
僕はそして、僕の人生において1番大切なのは周囲の笑顔であり、そのために僕は命をかけられる、と再確認し、そんなことが言い切れる自分に、小さいながらもしっかりとした満足を覚えています。
決してお金で得ることができないもの。
ずる賢くやっても得られないもの。
それを生きているうちに実感できるなんて、こんな幸せなことが、あるでしょうか。
僕はつい最近からこうなったのではなく、20年前と変わらず僕らしくあったのだ。ただ、あの頃は若くて我武者羅だったから、そういうことをじっくり感じる時間がなかっただけなのだと、実感しました。
Mさんはいつも太陽のように明るく、とても強い人です。あの頃と全く変わらないばかりか、ますます輝きを増している彼女の姿を確認できて、とても嬉しかった。僕は改めて、当時からMさんの仕事っぷりとその強さ、明るさ、シンプルさ、楽観的な屈託のなさに憧れて、自分もそうなりたいなと思ったことを思い出しました。
少しは近づけたかな?
いろんな人たちと巡り合い、ひとりひとりの個性的な輝きに憧れ、感動して、それを取り入れようとしていく。つまり今の自分は、生まれてからこの繰り返しによって得たもので構成されているのです。
今まで出会った全ての人の影響を受けた集大成が自分という人間なのだ。そう思うと、巡り合わせというものがもたらす恩恵に感謝を覚えるばかりです。
明日もまた別の会社の元同僚と会うことになっています。
仕事でたまたま同じ会社だから顔を合わせるのではなく、会いたいから会う、と思っていただけることは、嬉しいことですね。
ところで今の僕は、当時の純粋さにいくつもの強さを加えて持っています。純粋さだけでは物事は達成できません。相手を納得させる結果を出すこと。結果を出せる実力をもつこと。これは必須です。
結果を出すことができれば、有無を言わせません。
情熱だけが空回りしていた、甘酸っぱいような若い頃の思い出。あの頃の悔しさ。それがバネになって、いまの僕を構成していることは間違いありません。
強くなりたい。そう願い続けて、様々な組織で、いろんな人たちと仕事をしてきました。あれから20年。当時は想像もできなかったような経験を積み重ねることができました。どんなときでも僕は誠実であり、本氣でやってきました。手を抜かないのが僕のスタイル。でもそれは、楽をしないということと同義ではありません。人は楽をするために構造的なもの(システム)を作ります。
僕は僕らしくやってきた。そして今も僕らしくある。そしてMさんは変わらず素敵だった。それを再確認できる1日でした。
楽しかった。
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